『百倍の実を結ぶために』
百倍の実を結ぶ
釧路で開拓伝道を始めたとき、福音の種をまいてもまいてもなかなか救われる人が与えられませんでした。しかし主は4年目に4名の受洗者を与えてくださり、その後、毎年受洗者を与えてくださいました。興味深い話が創世記26章12~14節に書かれています。アブラハムの息子イサクはゲラルというペリシテ人の地に行き、そこで種をまくと百倍の実を結びました。同じ種をまいてもペリシテ人の収穫は少ししかなく、イサクがまくと毎年百倍になりました。私たちに必要なのはこの百倍の祝福です。誰が見てもキリスト者の上には百倍の祝福があるとわかることです。これが最大の証しであり、人々を主に導く方法なのです。
なぜ実を結ばないのか
誰でも百倍の祝福を得たいと思いますが、自動的にそうなるわけではありません。主イエスはこのたとえ話で実を結ばない土地のことについて語られました。
第一のタイプは道端です。福音について無関心、またはかたくなな心です。何年たってもイエス様との出会いを持てず、洗礼を受けようとしません。このタイプの人は霊的な関心がありません。
第二のタイプは石地です。熱しやすく冷めやすい人です。最初は熱心でも気に入らないことがあったり、人と意見が対立したり、試練に遭ったとき手のひらを返したように教会を去っていきます。
第三のタイプはいばらです。このタイプは世と妥協しながら生きる人です。優先順位が神でなく、自分と世と快楽が第一なのです。このタイプの人は主の弟子として訓練を受けようとしません。
良い地となるために
良い地となるためには「救いの喜び」に生きることです。主イエスに出会い、罪を悔い改め、赦しを得たとき大きな喜びを得ました。その喜びは天的な喜びです。(Ⅰペテロ1:8,9)クリスチャンは喜びの人です。天の御国は義と平和と喜びの国です。「救いの喜び」の原点に返りましょう。
次に「み言葉を求めること」です。ローマの百人隊長コルネリオは家庭集会にペテロを招きました。彼はまるで天使でも迎えるように、へりくだり、膝まずいてペテロを迎えました。ペテロの説教の途中、一同は聖霊に満たされました。
最後に「主の臨在のうちに住む」ことです。礼拝の時だけでなく、いつも主が共におられるということを意識し、主と親しい関係を築いてください。聖書に出てくる信仰の人は「主とともに歩んだ人」として紹介されています。百倍の実は神とともに歩んだ人に与えられるからです。
あなたはイサクのように百倍の実を得たいですか。良い地となるなら主はあなたに百倍の実を結ばせてくださいます。救いの喜びに生き、み言葉を恐れと感謝をもって聞き、いつも主の臨在の中にとどまるなら必ず百倍の実を結ぶことができます。