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『自分を低くする者は高くされる』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ルカ18:9-14

はじめに

本日の聖書箇所から、神の御前に自分を低くすることによって、義と認められる幸いについて見てまいります。

Ⅰ.パリサイ人の祈りから

主イエスは、神の前に「義と認められる」人について、パリサイ人と取税人の祈りのたとえを用いて語られました。パリサイ人は、他の人と自分とを比較して、自分を義人と定めました。また、「心の中で」自分の信仰生活、神に仕えたこと、神にささげたことを評価して、自分で自分を義なる者と決めたのでした(ルカ18:11-12)。しかし、この人は神の前に「義」とは認められなかったのです。

私たちは行いではなく、信仰によって神の前に「義」とされるのです(ガラテヤ2:16)。主は、「隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:6)と語られました。人からの報いや評価を求めて祈るのではなく、主が見ておられることを覚えて、主に信頼し、主のさばきに委ねる幸いに歩みましょう。

Ⅱ.取税人の祈りから

もう一方の取税人は、「こんな罪人の私を」と言って、周囲の人々のことよりも、ただひたすら神だけを見上げて、神による罪の赦しを願い求めて祈りました(ルカ18:13)。そこには、自分を高く評価するか、低く評価するかなどと考える余地は全くないのです。二人の祈りの姿勢の違いは、「自分を高くして」他者との比較を基に自分で評価をするか、自分を「低くして」神のさばきに委ねるかです。

私たちは主の十字架の贖いによって、神の憐れみによって御前に立つことを許されました。自分を主の前に「低くして」主の救いの恵みを頂いたことを感謝して、取税人のように主なる神だけを見上げ、一切のことを主に委ねましょう。主は、御前にへりくだる者を「高くしてくださる」のですから(ヤコブ4:10)。

Ⅲ.主の前に低くなる者の幸い

「義と認められて家に帰った」のは取税人でした(ルカ18:14)。自分を主の前に「低くする」とは、自分の思いや願いを優先する以上に、主の御言葉に聞き、聖霊の導きに従うことです。その時、自分は聖なる神の御前にあるということを覚えさせられます。また、自分を評価するのは自分や他人ではなく、主なる神であることを知ることができるのです。

主なる神は、自分を低くする私たちに憐れみを与えてくださいます。それは、御子イエス・キリストの十字架による贖いです。神が与えてくださった唯一の救い、主イエスに信頼して、罪を悔い改めて、主を心に迎え入れましょう(Ⅰヨハネ1:7)。その時、私たちは取税人のように、「義と認められて家に帰る」ことが許され、ただ恵みによって高い者とされ、神が備えてくださったあらゆる祝福にあずかる者とされることを覚えましょう。

結 び

主イエスは、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」と言われました(ルカ18:14)。私たちは、自分や他者の判断によるのではなく、神の約束を信じることによって自分を低くし、神によって高くされる歩みを御言葉と聖霊に導かれて歩み続けましょう。

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