『失望しないで祈る』
はじめに
本日は、失望しないで主に祈り求める幸いを見てまいります。
Ⅰ.神は私たちの祈りを聞かれるお方
主イエスは、「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために」、「神を恐れず、人を人とも思わない裁判官」に、「やもめ」が正しいさばきを求めたたとえ話しをされます(ルカ18:1)。神と不正な裁判官は、対比的に記されており、神は不正な裁判官とは全く違った態度で、私たちの祈りを聞いてくださるお方であることを教えています。
主は、「だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(ルカ11:10)と語られました。私たちは、主イエスの十字架の贖いによって「子としてくださる御霊を受けた」のですから(ローマ8:15)、なおさら神に向かって「アバ、父」と呼びかけ、主に近づき祈ることができるのです。
Ⅱ.神の御国はすでに世に来ている
この不正な裁判官は、この世の「神を恐れず、人を人とも思わない」力の象徴と見ることができます。その様な中で、キリストの聖徒たちは、「やもめ」のように、正しい裁き、正しい支配がなされることを、失望せずに絶えず主に祈り願いつつ歩む者とされています。それは、主の救いを頂いた全ての者は、目に見える現実の背後に、神がこの世を支配しておられることを信じているからです。
主イエスは、「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」(イザヤ9:6)と呼ばれるお方として世に来てくださいました。そして、十字架の死後三日目に復活されたことによって、人の究極的な敵である死に勝利してくださいました(ヨハネ16:33)。神の国は、「あなたがたのただ中にあるのです」と言われ、ご自分がこの世に来られたことによって神の支配がすでに実現していることを教えてくださいました。私たちは、主に祈る特権を頂いた者として、「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように」(マタイ6:10)と祈り続けようではありませんか。
Ⅲ.すでに与えられている神のご支配
主は、ご自身の到来によって、神が聖徒の叫びを聞いてくださる時がすでに来ていることを教えました(ルカ18:7)。その後で、「しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」と語りかけられます(ルカ18:8)。このことは、単にあきらめないで祈り続けなさいというだけではなく、主によって到来した神の国、神の支配を信じて、主の再臨の時まで、主を信じ続けるようにと励ましておられるのです。
私たちには、最終的な主の報いが与えられることが約束されています(Ⅱテモテ4:8)。「義の栄冠」が与えられることを目標に、私たちを愛してやまない主を見上げて、失望せずに、主に信頼して歩み続けましょう。また、私たちがこの世の現実の中で、神の国、つまり神の支配を見ることができるのは、失望せずに絶えず主との交わりに生きることにおいてなのだ、ということをも覚えましょう。
結 び
主イエスは、私たちが失望しないように、神との交わりに生きるための真理を教えてくださいました。神は、私たちの祈りを聞いてくださり、すみやかに事を導いてくださるお方です。主が再び帰って来られるときまで、主から与えられた信仰を持って、主と共に歩み続けましょう。