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『生きることはキリスト』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ピリピ1:19-26

はじめに

本日は、パウロが獄中から書いた手紙を通して、「今からも喜ぶことでしょう」と語った喜びについて見てまいります。

Ⅰ.主に信頼する幸い

ピリピ人への手紙には、獄中にあるにもかかわらず、パウロの喜びが満ちています。彼は拘束されていましたが、福音宣教の拡大が続いていたことを喜んでいました。それは、彼が何よりも望んでいたことだったからです(ピリピ1:18)。

パウロは、福音宣教の前進は、根本的には人ではなく主によることであると知っていました。自分を陥れるような人の悪意による行動があったとしても、神が福音宣教を進めて下さっていることに信頼を置いていたのです。全てのことは、主の許しの中にあり(詩篇121:3-5)、主は全てのことを益としてくださることを覚えましょう(ローマ8:28)。

Ⅱ.神の民とされていることの幸い

パウロは、福音宣教ゆえに受けた苦しみは、自分自身の救いになると断言して喜びました(ピリピ1:19)。主の御業のために、自分が用いられることの喜びを知っていたからです。主の御名が崇められ、主の御業がなることだけを真実に望む者はだれであっても、人や自分自身の評価を求めず、主の御業がなることを喜ぶからです(ピリピ1:20)。

主は、今も私たちと共にあって御業を成してくださり、教会を建て、不完全で欠けの多い私たちを用いて主の御業を行って下さいます。神の働きに参加させて頂くことによって苦しみを受けるなら、それは神の前では無意味なものではなく、救いに与っている民の一人であることのしるしであることを覚え、感謝しようではありませんか(マタイ5:10-12使徒5:41)。

Ⅲ.生きることはキリスト

パウロは、「世を去ってキリストとともにいること」を熱望していますが、神の必要のために今は世にとどまることを語ります(ピリピ1:21-23)。神が必要とされていることは、パウロがピリピ教会にとどまり、福音宣教の前進のために用いられ、主にある聖徒たちが「豊かな実を結ぶ」ための働きを続けていくことです(ピリピ1:25)。

全てのクリスチャンは、パウロと同じように主イエスの十字架の贖いによって、罪に死んでキリストの新しい命に生かされて一つ群れ(教会)に加えられました。私たちは、キリストの民として生かされているのです。教会は、主イエスによって結ばれた者たちが、様々な人間の肉の弱さを経験する中で、なおそこに留まり、主を礼拝し、キリストを宣べ伝え、キリストに似る者として成長するために執り成し、励まし合うために建てられたのです。キリストの復活のいのちに生かされている一人一人であることを覚えて、主と共に歩み続けましょう。

結 び

パウロは、「私にとっては、生きることはキリスト」と語りました。主は不完全な私たちを通して、人々の祝福のために用いてくださいます。主が私たちを通して、主の素晴らしい御業を成してくださることを覚え、キリストと共に生きる幸いな歩みを続けてまいりましょう。

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