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『隠れた神の御手』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 Ⅱサムエル2:1-113:1

はじめに

本日は、ダビデに働いていた隠れた主なる神の導きについて見てまいります。

Ⅰ.主の御心を伺う

ダビデは、イスラエルの初代の王サウルが戦死した後、直ちに次の王とはなりませんでした。先ず、自分の知恵や判断にではなく、主の御心を伺い、主の導きに従います。その結果は、彼はユダ族の王にとどまり、次の王になるまでに、さらに7年6ヶ月待つことになります(Ⅱサムエル2:10-11)。しかし、その期間、彼は王にふさわしい者となるために整えられることとなったのです。

人の目にはまっすぐに見える道でも、その道の終わりは死の道の場合があります(箴言14:12)。いつも主に祈り、御心を教えて頂きましょう。神の御心は何か、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、主に祈り、御言葉と御霊の導きを求めましょう(ローマ12:2)。

Ⅱ.誇るべきは主なる神

イスラエルに、イシュ・ボシェテとダビデという二人の王が立てられたことによって、サウルの将軍アブネルとダビデの軍隊の長ヨアブによって、覇権争いが続くことになります。初めは小さな争いでしたが、やがて大きな戦いになり、多くの人々が傷つくことになります。ダビデとって、この争いは不本意だったでしょうが、このことにおいても主に委ねたのです(Ⅱサムエル3:39)。

人の思いや感情だけで戦いをしたアブネルとヨアブたちの戦いの結果、アブネルの方に多くの戦死者が出ます。また、ヨアブもアブネルほどではないにしても、その兄弟アサエルを失います(Ⅱサムエル2:18-23)。アブネルを赦せなかったアサエルは、誰よりも足が速くアブネルに追いつき、自分の思いを成し遂げようとしたために命を失うことになったのです。アサエルは、自分の思いや感情を先行させて、足の速さを誇り、それを過信したのです。私たちが誇るもの、頼るべきものは何でしょうか。ダビデは戦いに勝つ術はあったでしょう。しかしそれらを頼りとしたのではなく、自分自身の考えや能力以上に主に頼ったのです(詩篇20:7)。私たちも、人の能力や知恵以上に、主に頼り、主を誇ろうではありませんか。

Ⅲ.隠れた神の導き

サウルの家とダビデの家との戦いは長引きました。このような混乱の中で、聖書は隠れた主の御手が働いていることを教えています。「ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱く」なっていったのです(Ⅱサムエル3:1)。

私たちにも各々、様々な戦いがあります。忍耐を重ねて、なお終わりの見えないような戦いの中にあるかもしれません。しかし、主はそこにもおられるのです。今は分からなくても、主イエスは確かに私たちと共におられて、導いておられるのです。主を見上げて、勇気を失わず、なお主と主の御言葉に聞き従う幸に歩み続けましょう(Ⅰヨハネ5:5)。混乱していて先が全く見えない状況でも、すべてを支配しているのは主なる神です。隠れた御手を持って、すべてを力強く導いておられる主なる神に信頼しましょう。

結 び

人々の思惑や考えで、ダビデの周囲は混乱を極めて戦いが起こるほどでした。しかし、その様な中にもダビデは、主の見えない御手の業が確実に働いていることを信仰によって見ていました。私たちも、常に共におられる主イエスの御手の中にあることを覚えて主と共に歩み続けましょう。

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