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『主は全ての主権者』

説教:髙橋正人牧師

はじめに

本日の聖書箇所から、主なる神を神としない異教社会で生活するダニエルたちの信仰を見てまいります。

Ⅰ.主は全ての主権者

南ユダは、バビロンによって国を滅ぼされ、ユダの民は捕囚となってバビロンに連れて行かれました。このことは、民の神への度重なる背信と預言者たちを通して語られる神の警告の言葉に聞き従わなかったために起こったことでした。捕囚は、人の目にはバビロンの王によることと見えますが、聖書はそれは主の御手の中で行われたことを教えています(ダニエル1:1-2)。

主イエスの十字架刑も、人の目には時の宗教指導者たちによって行われたように見えますが、実は父なる神の偉大なご計画と御手の中で行われたことでした。主が全てのことの主権者であるということは、私たち信じる者に大きな希望を与えることを覚えましょう(ローマ8:28)。

Ⅱ.主は聖徒を守られる

ダニエルと3人の若者たちは、バビロニヤの王と国のために生きる者として再教育され、イスラエル人としてのアイデンティティーまでも変えられます。彼らにとって、王に仕えるということは、異教の神々とどのように関わるのかが毎日問われていく信仰の戦いでもありました。その中で、彼らは自分たちが神の民として、バビロンの食物のことで身を汚してはならないと、食事を避けます(ダニエル1:8)。神は彼らの「宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられ」(ダニエル1:9)、また彼らの「顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えて」いるようにされます。また、ネブカデネザル王も認めるように導かれます(ダニエル1:15,20)。

彼らは、バビロン捕囚という現実の中で、主に従うことの幸いを確信していました。それで、置かれた異教の地で、信仰の戦いにおいて可能なことを精一杯行ったのです。主はその様な彼らを覚えてくださり、様々な御業を表わしてくださいました。主が私たちの味方であるなら、だれも敵対できず、どんな状況でも解決と希望があることを覚えましょう(ローマ8:31)。

Ⅲ.聖別された信仰の歩み

ダニエルが生きている状況は、今日の私たちの姿でもあります。私たちは、この世にあって、あらゆる面で世の風潮や価値基準、考え方などの中に置かれています。気がつかないうちに、この世のものに振り回され、埋没して、バビロン人と同じようになってしまう状況の中にあります。

主イエスは、私たちをこの世から取り去られることを願われませんでした。むしろ、世にあってキリストを証しするために遣わすと言われました(ヨハネ17:15-18)。私たちは、この世にあっても、この世のものでない生き方へと召されています(ピリピ3:20)。主は、私たちが住むこの地においても主権者です。主がダニエルたちを、バビロンでも忠実に歩むように守り支えてくださったように、私たちの置かれている所でも主権者として共におられることを覚え、主の民として歩み続けましょう。

結 び

ダニエルたちは、異教文化の中で、真の神が全ての主権者であることを畏れ敬うことを第一としました。主は彼らに知恵を与えて、主と共に歩むように守り支えてくださいました。私たちは、主の十字架の贖いによって神の民とされました。主権者である主イエスと共に、神の民として歩み続けましょう。

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