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『神からいただいたもの』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 Ⅰコリント4:6-16

はじめに

本日は、全ての善きものは、主から与えられたものであることについて見てまいります。

Ⅰ.賜物は全て主からもらったもの

パウロはコリント教会の兄弟姉妹に、「愛する私の子どもとして、さとすため」にと、教会にある信仰的問題の根本的原因の一つを取り上げています。それは、神から頂いた賜物を、自分の力で獲得したものであるかのように思う「高慢」です(Ⅰコリント4:6)。

主イエスの救い、主と共に歩む信仰生活など、全てのよきものは神の恵みによって「もらったもの」なのです。それは、神の一方的な恵みによることで(エペソ2:5)、だれも誇ることのないためです(エペソ2:9)。私たちは日々、主の恵みと憐れみによって生かされていることを感謝し、益々主の恵みを求めようではありませんか。

Ⅱ.弱く欠けある者に働く神の御業

人々の高慢な姿は、パウロの「私たち抜きで、王さまになっています」と言う言葉が示しています(Ⅰコリント4:8)。一方パウロは、自身について「今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです」(Ⅰコリント4:9-13)と語っています。これは、高慢を戒めると共に、弱さの内に働かれる主の絶大な恵みの力を知っていたからです。

私たちは主イエスの救いを頂いた者ですが、この世にあっては患難があり、信仰ゆえの戦いがあります。しかし、主イエスの復活を通して示された勝利が与えられているのです(ヨハネ16:33)。パウロは、悪評を受けても好評を博しても、神のしもべとして仕えていること、悲しんでいるようでもいつも喜んでおり、貧しいようでも多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っていると、主が共にいてくださることの恵みを語ります(Ⅱコリント6:4-10)。主の力は、私たちの「弱さのうちに完全に現わ」(Ⅱコリント12:9)されるのですから、主の恵みをもたらす者として用いて頂きましょう。

Ⅲ.キリストのために愚かな者だが

パウロは、「私たちはキリストのために愚かな者です」と断言します(Ⅰコリント4:10)。それでも、「はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。」(Ⅰコリント4:12-13)と語ります。これは、彼がキリストの十字架の救いを身に受けているからこそ、語り行ったことです。それは、パウロが行っている全てのことは、主が私たちのためにして下さったことだからです。

人の目には愚かに見える主の十字架は、私たちの救いとなりました。世の知恵は、十字架を理解できませんでしたが、御霊は「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」(Ⅰコリント1:25)ことを教えます。私たちはこの神の偉大な十字架の救いゆえに、小さく弱い者ですが、死に打ち勝たれた主の霊に導かれながら主イエスの恵みを証し続けることができるのです。主にあって愚かのように見えても、実は主の知恵と力に満たされていることを覚えましょう。

結 び

パウロは、「私たちはキリストのために愚かな者です」と言いました。それは、主の救いと恵みは、世の知恵や力によるのではなく、主の一方的な恵みによることを知っていたからでした。私たちは、主の恵みによって生かされていることを感謝し、喜びと希望をもって、霊に燃え主に仕える幸いに歩み続けましょう。

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