『神から与えられた賜物』
はじめに
本日は、タラントのたとえから、神から与えられた賜物について見てまいります。
Ⅰ.主人はしもべに賜物を預けておられる
主イエスは、「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです」とたとえをもって語られます。主人は帰ってきた時に、しもべたちがそのタラントを用いて得た結果を清算するのです。
このたとえは、すべてのクリスチャンは、主からその能力に応じてそれぞれに「タラント」、すなわち賜物が与えられていることを示しています。天の御国は、主を信じて賜物を頂いたときからすでに始まっているのです。主が再び帰ってこられるときのことを覚えつつ、与えられている主からの賜物を用いながら、主のみ業を現わしていく者として歩み続けましょう。主は、私たちが賜物を用いて天に宝を積むことを一緒に喜んでくださるのです。
Ⅱ.神から与えられた賜物を用いる信仰
「よほどたってから」、主人が旅から帰って来て、与えられたタラントを用いて、それを増やしたしもべたちをねぎらい、一緒に喜びます。しかし、「地の中に隠した」しもべには怒りを示しています。主人は、しもべたちの商才や能力ではなく、主人に対する「忠実さ」を喜ばれたのです(マタイ25:19-28)。
主に対する「忠実さ」とは、私たちがどれほど主なる神を信頼し、信じているかと言い換えることができます。主人が「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言われたしもべたちは、賜物を頂くと「すぐに行って、それで商売をした」のです(マタイ25:16-18)。しかし、賜物を地に隠したしもべは、主人が「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方」であると考えていたのです(マタイ25:24)。神は、私たちの救いのために、ひとり子さえも惜しまず十字架にかけるほどに、私たちを愛してやまないお方です(ヨハネ3:16)。私たちは、主の十字架に現わされた神の愛を頂いたのです。主の愛による救いを頂いたのですから、主に全信頼をもって従って行きましょう。
Ⅲ.預けられた賜物をどの様に用いるのか
主イエスの再臨の時、全ての人は神の前で清算を受けることになります(マタイ25:31-34)。私たちは、主がいつ来られても良いように、預けられたものを用いて備えておかなければなりません。
各人に与えられている賜物は、分に応じて与えられたものであり、それによって私たちは主の働きに招き入れられて、信仰生活を歩むものとされています(Ⅰペテロ4:10)。「能力に応じて与えられた」とは、与えられた分に相当する実りがあるということです。多くの賜物を与えられた者は、多くの責任を負っています。また、たとえ1タラントであっても、それは極めて多く豊かな賜物です。実りは約束されているのですから、主から頂いた賜物を、大いに用いて、主と共に喜ぼうではありませんか。
結 び
主なる神は、各人の能力に応じて賜物を与えておられます。それは、各人が与えられた賜物にふさわしい実りが約束されていると言うことです。賜物の大小ではなく、与えられた分に応じて、主のために賜物を用いて実りを見て、主と共に喜び合うものとさせて頂きましょう。