『インマヌエルの神』
はじめに
アドベント第3週です。本日は、ヨセフから見た主イエスの誕生を見てまいります。
Ⅰ.神のご計画の内にある幸い
聖書には、主イエスの誕生において、ヨセフとマリヤのことを記しています。彼らにとって、婚約期間中(ユダヤの婚約は同居していないだけで結婚と同じ)の受胎告知は、苦悩を伴うことでした。「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた」(マタイ1:19)のです。言者ミカを通して、ユダの氏族の中で最も小さいエフラテのいるベツレヘムを、救い主誕生の場として選ばれました。
彼らは、神の救いの計画に参与した人々の代表と言えます。神の計画に用いられることは、幸いなことだけではなく、時に苦悩を背負うことでもあります(ピリピ1:29)。しかし、その後には、必ず主の偉大な報いがあることを覚えましょう(Ⅰコリント15:58)。教会もクリスチャン一人一人も、神の救いの計画の中に置かれているのですから。
Ⅱ.神の愛は御子イエスの十字架に示された
主は、意を決してマリヤと離縁しようとしていたヨセフに、彼女を妻として迎えて、その胎の子を自分の子とすることを求めました(マタイ1:20)。神の言葉を受け入れるか否かの選択を与えられたヨセフは、自分の意思で、神の御言葉に従うことを選びます。これによって、彼はマリヤの胎の子が自分の先祖ダビデの子孫から生まれる救い主となるという、神の偉大なご計画に参与することとなったのです。それはまた、あえて自ら世における困難や恥を受けることを選ぶことでもありました。
神の救いのご計画は、人の意思とは全く無関係に進められることではありません。私たちに自由意思を与えられておられる神は、神と人との愛の関係において、私たちの従順を求めておられるのです。神の愛は、御子イエスに表された十字架の贖いです。誰でも、主イエスを信じる者は救われます(ローマ10:10)。神の愛を受け入れ、主イエスを心に迎え入れて歩む幸いを頂きましょう。
Ⅲ.私たちと共におられる主イエス
神は御使いを通して、ヨセフとマリヤそれぞれに、生まれてくる子に「イエス」と名付けるよう命じます(マタイ1:21、ルカ1:31)。その子はその名の通り「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」(マタイ1:21)となりました。
主イエスは、私たち罪人の救いのために、十字架という苦難の道を歩んでくださいました。主の十字架の贖いによって、神と人との罪による隔ての壁が崩されたのです。さらに、インマヌエルの神が共にいてくださることによって、人は神と共に生きるものとされたのです(エペソ2:14)。死から三日目に復活された主は、弟子たちに、大宣教命令を語られると同時に、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18-20)と約束してくださいました。この時期、主イエスは今、共におられることを覚え、主の再び来られることを待ち望みつつ歩み続けましょう。
結 び
インマヌエルの神、主イエス・キリストは私たちと共におられる生きた神です。主の到来を待ち望みつつ、イエス・キリストの良き訪れを宣べ伝えてまいりましょう。