『聖徒の交わり』
はじめに
本日の聖書箇所から、聖徒の交わりについて見てまいります。
Ⅰ.教会はキリストのからだ
教会の本質は、聖徒の交わりにあります。パウロは、キリストの教会を人間の体にたとえて教えています。私たちは一つの御霊によって、キリストの体に結ばれました(Ⅰコリント12:12)。体の中に多くの部分があるように、教会にも様々な部分があり、各々が他の部分と一緒に補い協力し合いながら生きているのです。
教会はこの地上におけるキリストの見える体であり、この世に対してキリストの愛と真理を交わりを通して現して行くところです。イエス・キリストというお方によって救われた私たちは、キリストの体である教会を建てあげて行くために、主から様々な賜物が与えられていることを覚えて、主を礼拝し、互いの賜物を用いて行きましょう。
Ⅱ.教会は主から与えられた様々な賜物を用い合うところ
コリント教会には、賜物や働きが違うということで、教会の中に競争や分裂、反目が起こっていました。パウロは、「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」(Ⅰコリント12:26)と教えて、教会はお互いを必要としているキリストにある共同体であるということを教えています(Ⅰコリント12:18-21)。さらには、弱く見える器官や尊くないとみなしたりするような器官こそが、実はなくてはならないものであると語っています。
キリストの体である教会は、他者の苦しみや喜びを共有することができる共同体です。一人の人の苦しみは群れ全体の苦しみとなってとりなしの祈りとなり、一人の人の喜びは群れ全体の喜びとなり、キリストをほめたたえることへと導かれて行くことを覚えましょう。
Ⅲ.与えられた賜物を聖霊による調和をもって用いる
私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、キリストの聖徒とされ、群れである教会の一員とされました。そして、主にあるあらゆる富と賜物を与えられ、それを御国のために、自発的に喜んで用いるという使命を委ねられました。
自分に与えられた賜物や役割が何であるかを見つけ出していくことは、教会生活の楽しみのひとつでしょう。生涯変わらない役割もあれば、年齢や立場によって変わっていくものもあるでしょう。しかし、その与えられた賜物は、主のために、また教会のために用いるべきものであり、それによって信仰の仲間が、キリストに似る者として成長していくことを覚えましょう。聖霊による「調和」をもって建てあげられ、主の栄光を現して行く者とさせて頂きましょう。
結 び
聖徒の交わりとは、同じキリストの救いと恵みを頂いた者が、それぞれに与えられた賜物を用いて、互いに愛を与え合い、互いに仕え合うことです。主の救いを頂き、一つの群れに属する者とされた恵みを覚えて、主の再臨を待ち望みながら、互いに励まし合い、互いに徳を高め合って行きましょう。