『御言葉を大胆に語る』
はじめに
本日の聖書箇所から、聖霊に満たされた聖徒たちが、大胆に御言葉を語っていったことを見てまいります。
Ⅰ.伝道は教会の業
ペテロとヨハネは、主イエスの御名によって福音を語ったことで、逮捕、拘束され最高議会で尋問されました(使徒4:1-12)。この間、エルサレムの仲間たち(教会)は、二人のために祈っていました。二人は解放された後、エルサレムの教会に帰って、事の次第を残らず報告しました(使徒4:23)。報告を聞いた教会では、「心を一つにして、神に向かい、声を上げて」祈ったのです。
福音を伝えることは、使徒たちだけの奉仕ではありません。ペテロとヨハネ、そして教会の人々の連携や協力によってなされることです。ですから、宣教に対する妨害が起こっても、それを乗り越えることができたのです。伝道は教会の業であり、聖徒の皆が担い、共有するべきものであることを覚えましょう。
Ⅱ.心を一つにして祈る
ペテロとヨハネの報告を聞いたクリスチャンたちは、二人と同様に官憲の脅しに屈するどころか、ますます心を一つにして主に祈りました。教会の祈りは、主をほめたたえると共に、妨害や脅しを受けている状況を神に見ていただき、それらのことを神に委ねて、大胆に御言葉を語らせてくださいというものでした(使徒4:23-30)。
主は、教会が心を一つにして祈ることを通して、本当に必要なことを願い求める祈りへと導かれます。そして、その願いを聞いてくださいます。ここに、主イエスが約束されたことが成就するのです。「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます」(マタイ18:19)。私たちも今、御霊によって心を一つにされて、主の御心である救いのみ業を求めて祈ろうではありませんか。
Ⅲ.置かれた所で主を証しする
「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだしました」(使徒4:31)。神の言葉を宣べ伝えて行くとき、様々な妨害がおきます。この後、キリスト者たちは時の権力者たちによって散らされて行きますが、聖書は、聖徒たちが散らされたことによって、かえって御言葉が多くの人々に宣べ伝えられたことを語っています。
今の私たちも、散らされているような状況と言えます。しかし、この状況を通して、主は新しいことをすでに始められていることを覚えましょう。「世界の光」、「地の塩」として救いを頂いた私たちです。以前のように、元の場所やこれまでの方法に戻ることを願うのではなく、初代教会時代の聖徒たちのように、全てを主に委ねて、聖霊に満たされ、「神のことばを大胆に語らせてください」と、祈り願おうではありませんか。
結 び
初代教会の聖徒たちは、御言葉を宣べ伝えることに伴って、様々な妨害を受けたり、脅されたりしました。しかし、聖霊に満たされた聖徒たちはますます大胆に主イエスを証しして行きました。私たちも聖霊の満たしを求めて、今おかれているところで、主を大胆に語ることを願ってまいりましょう。