『主にあって喜びなさい』
はじめに
本日は、主と共にある幸いについて見てまいります。
Ⅰ.主にあってしっかりと立ちなさい
パウロは、手紙の最後で、ピリピの聖徒たちに、「主にあってしっかりと立ってください」と勧めます(ピリピ4:1)。それは、主を信じる者には、「神の栄冠」(ピリピ3:14)という大きな報いが約束されているからです。
私たちは、主の十字架の贖いによって、天に国籍を持つ者とされました。また、主が再び来られて、復活の主と同じ栄光のからだを与えてくださるという希望が与えられています。この希望は失望に終わることのない確かなものです。その揺るぐことのないしるしは、聖徒たちに与えられている聖霊によって、神の愛が心に注がれているということです(ローマ5:5)。聖霊は主イエスを証ししてくださり、御言葉を通して神の愛とみ心を教えてくださるお方です。私たちはなおも、飢え渇きをもって聖霊を求め続け、しっかりと信仰に立ち続けてまいりましょう。
Ⅱ.主にあって一致する
聖書は、ピリピ教会に「主にあってしっかりと立つ」歩みをすることを妨げる問題があったことを記しています。それは、パウロが福音を宣べ伝えるために協力し、共に戦ってくれた二人の婦人の間に起こった難しい関係でした。
パウロは、婦人たちが同じの主に結び合わされた者であることを示しながら、教会にも「主にあって一致するように」と勧めます。さらには、互いが「いのちの書に名の記されている」者であるということ、言い換えるなら、教会は一般的な世の人間的集団ではなく、永遠の神の御国の家族であることを教えています。
クリスチャンも世の人々と同様に、誰一人として同じ個性や性格を持っているものはいません。しかし、同じ主に救われ、主を信じる信仰を与えられ、同じバプテスマを受け、同じ望みをもって歩み続けています(エペソ4:4-5)。それは、それぞれが主から頂いている賜物を用いて、神の教会を建て上げて行くため、互いに補い、支え合いながら成長していくためであることを覚えましょう(エペソ4:16)。「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」(ピリピ2:3)
Ⅲ.いつも主にあって喜ぶ幸い
ピリピの教会の中にも、不一致や争いなどがあり、単純には喜べない状況があったことが窺えます。しかし、パウロは「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」(ピリピ4:4)と命じています。それは、単なる励ましの言葉ではなく、主に祈り願う時、主はその祈りを聞いて、「人のすべての考えにまさる神の平安が、・・・心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれる」(ピリピ4:7)と知っていたからです。
私たちの日常には、様々な恐れや思い煩いがあり、喜べないことが多くあります。そんな毎日を煩いによってやり過ごすのではなく、主に向かって祈る者とさせて頂きましょう。主に感謝をもって祈りをささげ、願いを語ることが許されている恵みを覚えましょう。主は、あなたの祈り、呼びかけを必ず聞いて下さるのです(マタイ18:19)。
結 び
パウロは、いつも主にあって喜ぶべきことを命じました。いつも私たちと共におられる主は、どんな状況でも主の平和を与え、心を満たしてくださるからです。そして、祈りに応えてくださる主は、その栄光を現してくださるのです。

