『よみがえられた主イエス』
はじめに
イースターおめでとうございます。私たちを取り巻く様々な状況の中でこそ、復活された主イエスを仰ぐ勝利の信仰に立たせて頂きましょう。
Ⅰ.主は、望み得ないのになおも望みを与えてくださる
婦人たちは、「週の初めの日の明け方早く」(ルカ24:1)、十字架で死なれた主イエスの葬られている墓に行きました。それは、せめて主イエスの遺体に香料を塗って丁重に葬りたいとの思いがあったからです。しかし、墓の中には主の遺体はありませんでした。このことは、彼女たちにとっては、「途方にくれてしまう」、絶望の上にさらに絶望を重ねる出来事でした。
その時、二人の御使いが彼女たちに「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。よみがえられたのです。」(ルカ24:5-6)と、驚くべき事を告げたのです。主は、人の力の及ばない絶望としか思えないところでこそ、人知ではとうてい計ることのできない主の栄光を現してくださるのです。私たちは、主にこそ望みを置いて、主のみ業を求めて歩み続けましょう。
Ⅱ.御言葉と聖霊によって復活の主を知る
婦人たちは御使いの言葉を通して、主イエスの御言葉を思い出し、「墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告」(ルカ24:9)しました。使徒たちには、婦人たちの話は、「たわごと」にしか思えませんでした(ルカ24:11)。
婦人たちは御使いを通して、弟子たちは婦人たちの証言を通して、主イエスの語られた受難と復活の予告の言葉を思い出したことでしょう。しかし、彼らは主の言葉を思い出してもなお、信じることはできませんでした。彼らが、主イエスの復活を実際に体験し、主の復活の命に生きるものとされるのは、聖霊を受けてからでした。
聖霊は、私たちに主イエスが今も生きて私たちと共におられることを証しし、御言葉の真実を体験させてくださいます。父なる神が約束してくださった聖霊を、さらに求めて、私たちの内に迎えましょう。
Ⅲ.復活の主イエスは、今も私たちと共におられる
御使いの言葉を聞いて驚いた婦人たちは、弟子たちの所へと走りました。婦人たちの証言を信じなかった弟子たちの中で、ペテロだけは墓を見に行き、婦人たちの証言の通りであることを見ましたが、「驚いて家に帰った」だけでした(ルカ24:12)。彼らは皆、主の言葉を思い出したにもかかわらず、見当違いの方向へと走って行ったのです。この姿は、私たちの姿でもあります。生きておられる主イエスは、その様な私たちに出会ってくださいます。私たちは今、教会堂にさえ集うことができない状況にありますが、復活の主は私たちと常に共にいてくださるのです。それぞれ置かれている所で、復活の主イエスは御自身を現してくださっているのです。今週も日々共におられる主と一緒に歩んで行きましょう。
結 び
主イエスは、十字架の贖いによる死の三日目によみがえられました。死に打ち勝たれた主イエスは、今、生きて私たちと共におられ、私たちに出会ってくださいます。今週も、どんな状況にあっても、主イエスのよみがえりの命に生かされていることを覚えて、主に従って歩み続けましょう。

