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『いのちへの招き』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ヨハネ3:16-21

はじめに

本日は、父なる神の私たちに対する愛とその御心について見てまいります。

Ⅰ.主イエスに現された父なる神の愛

ヨハネ3章16節の御言葉は、聖書のエッセンスがこの中にすべて含まれていて、「聖書の中の聖書」とか「聖書の中の小聖書」と言われています。「世を愛されている」父なる神は、「そのひとり子を与えて」くださいました。私たちは、主イエスを通して、神の愛の偉大さ、恵みの素晴らしさを知ることができたのです(ヘブル1:3)。

さらに、父なる神の愛は主イエスの十字架に現されました。主イエスを信じる全ての者は、主イエスの十字架の贖いによって罪を赦され、神の子とされ、永遠のいのちを与えられたのです。主は、罪人である私たちのために、いのちを捨てるまでに愛を示してくださったのです(ローマ5:7-8)。これが、聖書の中心メッセージです。

Ⅱ.永遠のいのちを持つため

聖書は、全ての人は罪人で永遠の滅びの中にあると語ります。滅びの中にあるとは、人はその罪のために神との本来の関係を失って迷い、神に与えられた人生を浪費し破壊しているということです。そのような罪人を救うために、神は御子イエスの十字架の贖いによって滅びではなく「永遠のいのち」を受ける道を備えてくださいました。

「永遠のいのち」とは、単なる長生きのことではなく、また御国において与えられるものではなく、主を信じた時から与えられるキリストのいのちのことです。永遠のいのちによって、神の愛を受けながら、神のいのちに生き続けることです。御子イエスを信じる者は、だれでも救われ(ローマ10:13)、永遠のいのちが与えられます。主イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れましょう。

Ⅲ.さばきではなく、御子によって世が救われるため

主イエスを信じる者には、永遠のいのちが与えられる一方で、「信じない者は・・・すでにさばかれている」(ヨハネ3:18)と聖書は語ります。「さばき」は世の終わりの時のだけではなく、今すでに始まっています。それは、罪人は罪が神の光に照らし出されることを恐れて、光である主イエスのもとに来ようとしないということです(ヨハネ3:19)。言い換えるなら、主イエスを受け入れないこと、神から離れていること自体が、神のさばきです。

ニコデモが「夜」に主イエスを訪ねたのは、単に時間的なことをではなく、彼が本当の光であるキリストを認めようとしなかったからです。これが罪人の姿であり、闇の中に生きるということです。そのような罪人のために、父なる神は、ひとり子イエスを世に遣わされました。主イエスを信じる者は、信仰によって誰でも光の中を歩む者とされます。「すべての人を照らすそのまことの光」(ヨハネ1:9)によって、新しい主のいのちに生き生きと生かされようではありませんか。

結 び

父なる神の愛は、御子イエスを世に遣わされ、御子の十字架の贖いに表されました。神の御心は、「すべての人が救われて、真理を知るようになる」(Ⅰテモテ2:4)ことだからです。救いを頂いた私たちは、主の御名をほめたたえ、神の御心を自分の心として福音を宣べ伝えて行きましょう。

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