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『全ては主の栄光のため』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ピリピ1:19-26

はじめに

2月は祈祷月間です。本日の聖書箇所から、パウロの切なる祈りと願いを通して、祈りの原点を見てまいりましょう。

Ⅰ.神があがめられることを切なる願いとして

パウロはこれまで、神の福音が様々な障害にもかかわらず、宣べ伝えられていることを知って「私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。」(ピリピ1:18)と語りました。それは、彼の第一の願いが福音が伝えられること(ピリピ1:19)、そして「生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられること」(ピリピ1:20)にあったからです。

主の救いを頂いた者には、その生き方に、主と共に歩む態度と、キリストに似る者とされて行く姿が現されます。それは具体的には、全てにおいてキリストがあがめられることを喜ぶことと言えるでしょう。主を第一とした歩みをし、主の御心(Ⅰテモテ2:4)を自分の思いとさせて頂き、置かれている所でキリストを伝えましょう。

Ⅱ.生きることはキリスト、死ぬことも益

パウロの切なる祈りと願いは、自分を通して主があがめられることでした(ピリピ1:20)。ですから、「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」(ピリピ1:21)と断言しています。これは、パウロが、どの様な状態にあっても、主は常に共に居られて、最善を用意しておられることを確信していたからです。

後に、パウロはキリストの命そのものに生かされて、走るべき道のりを走り終えたと言い切っています。その後で、「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです」と言って、永遠の御国を待ち望んでいることを教えています(Ⅱテモテ4:6-8)。私たちもパウロのように、主と共に自分の走るべき道のりを走り抜き、永遠の御国を待ち望もうではありませんか。

Ⅲ.キリストにならって人に仕える

パウロは、主のもとに行くことを望んでいましたが、今は「肉体にとどまる」ことが良いと判断しました(ピリピ1:23-24)。彼は、自分のことよりも、他者の益のために仕えようとしたのです。それは、人に仕えて真の救いを与えるために、この世に来てくださった主イエスにならってのことでした(マタイ20:28)。

私たちも、主にならって仕え合うことができます。主の救いを頂いたこと、主を知る者とされたことを感謝して、自分を通して主の祝福と恵み、そしてなによりも主イエスご自身が現されることを祈り求めましょう。「私にとって、生きることはキリスト」というパウロの告白を、自分の告白とさせていただき、主イエスにならう歩み、隣り人の救いと祝福に仕える歩みへと導かれましょう。

結 び

私たちは、主イエスの十字架の贖いによって罪から解放され、主の永遠の命に生きる者とされました。今、主と共に歩み続ける幸いに生き、私たちを通して救い主イエス・キリストが現されることを祈り願い続けましょう。

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