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『の目が開かれて』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ピリピ1:9-11

はじめに

本日の聖書箇所は、パウロのピリピ教会への祈りが記されていますが、これは今日の私たちへの祈りでもあることをみてまいります。

Ⅰ.真の知識とあらゆる識別力によって

パウロは最初に、ピリピ教会の人々に、「真の知識とあらゆる識別力」によって、愛が「いよいよ豊かになる」ようにと祈ります(ピリピ1:9)。それは、神の愛こそが人を真に生かし、成長させるからです。愛なる神、主イエスが私たちに臨んでくださるとき、人は霊の目が開かれて、主の救いを受け入れると共に、主と共に生きる幸いを知るのです。

真の知識は、聖書を通して、また聖書の説きあかしを通して与えられます。また、聖霊は主イエスを証しし、主が語られたことを思い出させてくださいます(ヨハネ14:26)。聖書の御言葉を貯え、御霊に導かれて、主と共に歩み続けましょう。

Ⅱ.すぐれたものを見分ける

パウロは次に、主によって「愛」を豊かにされた者は、「真にすぐれたものを見分けることができるようになります」(ピリピ1:10)と語っています。「すぐれたものを見分ける」とは、主にあって正しい価値観をもつようになるということです。主の十字架の愛を知ると、罪から離れると同時に、神のみ心は何か、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るように成長するのです。

また、主の愛を知る者は、主を愛するようになると同時に、兄弟姉妹、そして隣り人をも愛するようになります。それは、主の御心だからです(ヨハネ15:12)。さらには、迫害する者のためにも祈ることができるようにされるのです(マタイ5:44)。全ての聖徒は、「キリストをその身に着たのです」(ガラテヤ3:27)から、キリストに似る者とされることを目指してまいりましょう。

Ⅲ.キリストの日に備えて

パウロの祈りは、「キリストの日には純真で非難されるところがないように」(ピリピ1:10)と続きます。私たちは、主イエスの救いに与らせて頂きましたが、それが終着点ではなく、キリスト者としての歩みがそこから始まったということです。その歩みは、「キリストの日」つまり、主が再び来られる日に備える歩みなのです。

今の私たちは、愛においても、知識や識別力においても欠けがあります。しかし、キリストの日には、「イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現される」(ピリピ1:11)と教えています。私たちは主を仰ぎ望みつつ、「これが道だ。これに歩め」と言う主の御言葉に従い、聖霊の導きを求めてまいりましょう(イザヤ30:20-21)。

結 び

パウロのピリピ教会への祈りは、「イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように」(ピリピ1:11)というものでした。これは、今日の私たちに対しても必要な祈りです。主の民として、ますます神の愛を豊かにさせて頂くことを祈り求めましょう。

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