『キリストを模範とする』
はじめに
本日は、主イエスを模範として歩むことの幸いをみてまいります。
Ⅰ.私たちのために苦難を忍ばれた主イエス
ペテロはこれまで、迫害の中にあるクリスチャンたちを励ましてきました(Ⅰペテロ2:12-14)。次に、しもべたちに対して、横暴な主人であっても「尊敬の心を込めて服従しなさい」と教えます(Ⅰペテロ2:18)。それは、「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された」からと語ります(Ⅰペテロ2:21)。
主イエスは、不当な十字架刑を受けることで、罪人の身代わりとなって神のさばきを受けてくださいました。父なる神は、それゆえに御子イエスを高くあげられ、神の右の座に着座させてくださいました。私たちも、主イエスを模範として従う時、神は私たちを主の証人として高く引き上げて、悪者呼ばわりする人たちの口を封じるだけではなく、彼らが神をほめたたえる者と変えてくださることを覚えましょう(Ⅰペテロ2:12,15)。
Ⅱ.主が示してくださった模範に倣う
主イエスが「模範」として示してくださった憐れみと忍耐によって、私たちは罪から解放されて「キリストの打ち傷のゆえに、いやされて」、神の義のために生きるようにされました(Ⅰペテロ2:22-24)。当時の迫害下にあったクリスチャンたちが、キリストを模範として歩んだことによって、迫害する者、主に背を向けている人たちの中から、主の愛を知り、主に従って歩む者が起こされたのです。
使徒パウロは、主を模範として生きる自分の姿を、当時の円形劇場の見せ物の最後に登場する者にたとえています(Ⅰコリント4:9)。しかし、彼はそれが主の主権のもとに、主イエスを証しするためであると語りました。今の私たちも、主イエスを模範として歩むなら、世の人には愚かしく見えたとしても、主の救いのみ手を私たちを通してすべての人に証ししてくださることを覚えましょう。
Ⅲ.主の模範に倣う者に伴う幸い
ペテロは、次に主の十字架の贖いの結果として、私たちが主イエスという「たましいの牧者」であり、「監督者」のもとにあることを教えています(Ⅰペテロ2:25)。主イエスの模範に倣って歩む時、たましいの牧者であり、監督者である主は、私たちを義と「いこいの水のほとり」に導いてくださいます。
私たちの人生には、様々な恐れや困難などがあり、それらのことは尽きることがありません。それらに対する、究極的な解決は主イエスの十字架による救いです。主の十字架は、人の究極的な恐れである死にさえ圧倒的な勝利をされたからです。主の十字架の贖いによって罪を赦され、永遠の命をいただき、天の御国に導かれるのです。主の十字架の贖いによって、私たちは真の平安を頂き、力強く主の証人として歩むことができるのです。
結 び
主は、いつも私たちと共に歩み続けてくださり、御言葉と聖霊を通して模範を示し続けてくださいます。私たちは、どんな状況でも正しくさばかれる主にすべてを委ねるなら、主の祝福があるばかりではなく、私たちを通してキリストの証人としてくださることを覚えましょう。信仰の模範である主と共に、ますます歩み続けましょう(ヘブル12:2)。

