『神の自由人として』
はじめに
本日は、主の十字架の贖いによって自由とされた者の歩みについてみてまいります。
Ⅰ.人の立てたすべての制度に従う
「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい」(Ⅰペテロ2:12)と勧めたペテロは、そのために成すべきことを教えます。まず、「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい」(Ⅰペテロ2:13)です。主イエスご自身も、当時の社会において、その制度に従うことは神の御心であり、その責任を果たすことは主のみこころであると語り示されました(マタイ22:17-21)。
神の選びの民とされた私たちは、敵をも愛された主イエスに倣って、この世に遣わされている者として、どんな制度であっても、それが神のみこころに反しないものである限り、「主のゆえに」従いましょう(ローマ13:1-2)。従うことによって、キリスト者が「敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごす」(Ⅰテモテ2:2)ことができるのです。
Ⅱ.善を行って、愚かな人々の無知の口を封じる
ペテロは、すべての制度に従うべきもう一つの理由を挙げます。それは、聖徒たちが人の立てた制度に従うこと(「善を行うこと」)によって、「無知」のゆえに聖徒を悪人呼ばわりしている人たちの「口が封じられ」、かえって「神をほめたたえる」ようになるからです(Ⅰペテロ2:15)。
初代教会のクリスチャンたちは、ローマ(人の立てた)制度に従いながらも、偶像の神々に仕えず、ローマ皇帝ではなく、主イエスこそが唯一の神のであること信じて忍耐をもって「りっぱにふるまい」ました。その結果、紀元312年に、ローマ皇帝コンスタンチヌスがキリスト教に回心するという神のみ業が成されたのです。
私たちも、主イエスを知らない人々が大勢いる所に置かれています。その様な中で、神の選びの民として、「善を行うこと」によって、それを見た人々に「神をほめたたえるようになる」機会を与えることができるのです。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられる」(Ⅰテモテ2:4)のですから。
Ⅲ.自由人として行動しなさい
ペテロは次に、聖徒が人の立てた制度に従う時には、「自由人として」、「神の奴隷」として行動しなさい(Ⅰペテロ2:16)と教えます。すべてのクリスチャンは、主の十字架の贖いによって罪の奴隷から解放され、本当の自由をいただいた者です(ヨハネ8:32)。しかし同時に、「神の所有とされた民」は、「その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として用いる」(Ⅰペテロ2:16)べきであると命じています。
主の救いによって、私たちクリスチャンを縛るものは何もなく、ただ主の愛に捕らえられているのです(ローマ8:38-39)。私たちは、救われるために何かをしなければならないという束縛から解放さたのです。ですから、感謝をもって、神の御心を喜んで行うことができる自由と力をもって、それぞれの所に主イエスの証人として遣わされましょう。自発的に主に仕えるように、周りの人々に対して仕える者とさせて頂きましょう(Ⅰペテロ2:17)。
結 び
私たちは主イエスの十字架の贖いによって、罪の奴隷から解放されて真の自由を与えられました。主が与えてくださった自由をもって、私たちはキリストに従うことを第一として、それぞれ置かれた所で、御言葉と御霊の導きによって、人の立てた制度に従うことを通して、クリスチャンとしてりっぱにふるまう者とさせて頂きましょう。