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『神の宮を建てる』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 ヨハネ2:13-25

はじめに

アドベント第三週は、人となられた主が、私たちを霊とまことをもって神を礼拝する民としてくださった幸いをみてまいります。

Ⅰ.神の宮(教会)は父なる神の家

過越の祭りのために宮に入った主は、神を礼拝する所が、いつの間にかこの世のものだけがはびこっている所となっているのを見て、激しく怒りました(ヨハネ2:13-16)。礼拝が、いつの間にか形骸化していたのです。

今日、神の宮である教会が、神のこと以上にこの世のことを優先することはないでしょう。しかし、いつの間にか教会の頭である主イエスを、どこかに追いやっていたり、形式的な活動だけを繰り返しているなら、もう一度神の前に悔い改めなければなりません。主イエスの救いを頂いた私たちは、この世と調子を合わせるのではなく、神の御心を教えて頂き、主の愛に応えて自分自身を「神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげ」ようではありませんか(ローマ12:1-2)。

Ⅱ.この神殿をこわして三日でそれを建てる

主の行いを見ていたユダヤ人(宗教指導者)たちは、主にメシヤ(救い主)であることの「しるし」を要求します。主の答えは、「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」(ヨハネ2:19)というものでした。これは、主ご自身の十字架の死と復活のことについて語られたのです。

主イエスが宮きよめをされたのは、真の礼拝の本質と秩序を示すためでした(ヨハネ4:23)。そのために、父なる神はひとり子イエスを世に遣わされました。主は人の罪の身代わりとして十字架で死なれ、死後三日目に復活されたのです。この主の十字架の贖いによって、私たちの内に聖霊が住まわれ、私たち自身が聖霊の宮(Ⅰコリント6:19)とされたのです。いつでもどこでも、主なる神を礼拝することを許されて、豊かな交わりにある幸いを感謝しましょう。

Ⅲ.御言葉にとどまる神の宮とされた者

主イエスの宮きよめの後、多くの人々が主イエスの行われたしるしを見て、その御名を信じたとあります(ヨハネ2:23)。しかし、人々の信仰は、主イエスが成されるしるしを見たから信じるというような根の浅いものであり、真実に主イエスを救い主として信じ、従う信仰ではありませんでした。だからこそ、主はご自身を彼らに「お任せにならなかった」のです。それは、主がすべての人の内にあるものを知っておられたからです(ヨハネ2:24)。

主イエスと出会って、主を救い主として信じることはとても幸いです。しかし、主イエスが願われていることは、主を信じた者が主に従い続ける弟子になることです(マタイ28:19)。そのために、神の宮とされた私たちは、内におられる聖霊に教えられ、助けられて、主の御言葉にとどまり続けようではありませんか(ヨハネ8:31)。

結 び

父なる神は、私たちを礼拝の民とするため主イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。主の十字架の贖いによって、私たちは内に聖霊が住まわれる宮とされました。私たちは、主のいのちという代価を払って買い取られたのですから、私たちのからだをもって、神の栄光をあらわして行きましょう(Ⅰコリント6:20)。また、主のあわれみと恵みを受けた者として、「おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブル4:16)。

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