『来て、見なさい』
はじめに
アドベント第一週です。本日の聖書箇所から、主イエスの方から私たちの所に来てくださったことについてみてまいります。
Ⅰ.主イエスを宣べ伝えよう
主イエスの弟子となったピリポは、ナタナエルに語りかけて主イエスを紹介します。ナタナエルは、主を信じて弟子となりました。ここに、主イエスの弟子、キリスト者となった者が、主を人に証しして、聞いた者がまた主を信じて主の弟子、キリスト者となるということが繰り返し語られています。
主の福音は、一人のクリスチャンが他の人に語り、その結果その人もクリスチャンとなるというようにして広まって行くのです。先に主イエスの救いを頂いた私たちは、この救いの良き知らせを伝えて行きましょう(ローマ10:15)。私たちが頂いた聖霊は、主イエスを証ししてくださるダイナミックなお方なのです。
Ⅱ.来て、そして、見なさい
ピリポの証しを聞いたナタナエルは、最初は主イエスを信じませんでした。福音を語る時、このようなナタナエルの態度は、ピリポだけではなく、今日の私たちも体験することです。この時、ピリポはナタナエルを説得しようとはせずに、「来て、見なさい」と言って主と出会える機会を作ったのです。
主は私たちに、人を説得して信じさせることを求めておられるのではありません。人を救うのは主であり、私たちはピリポのように「来て、見なさい」と言って、人が主イエスと出会う機会を作ることなのです。後は、聖霊がみ業を行って下さることを信じて、委ねるのです。伝道の第一歩は、常に「来て、見なさい」と言って、人が主イエスと出会う機会を作ることです。私たちは、主イエスをどんなときでも証しする者であることを覚えましょう。
Ⅲ.さらに大きなことを見る
ナタナエルは、人に誘われて自分の意志で主のもとに来たと思っていました。しかし、実はその前から主イエスの方が彼を知っていたことを知って驚きます(ヨハネ1:47-48)。
主イエスは驚くナタナエルに対して、もっと偉大なことをあなたは見ることになるとも語られます(ヨハネ1:51)。神のひとり子イエスは、天の門となり、天と地、神と人をつなぐお方となってくださいました。主イエスは、天から降って人となられ、十字架で贖いの死を受けて下さり、三日目に復活されて後、天に昇られました。これによって、私たちには主の復活の命、永遠の命の約束を頂いたのです。主イエスのご降誕を覚えるこの時期、神が人となってくださり、私たちのもとに来てくださった恵みと幸いを感謝しようではありませんか。
結 び
主は私たちが主と出会うはるか前に、私たちを知っておられるお方です。神の民とされ、教会に連なる者として主を礼拝して行く中で、私たちはさらに主を体験させて頂くのです。クリスマスを覚えるこの時、主イエスの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを覚える時とさせて頂きましょう。