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『今こそ備えるべきこと』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 ルカ16:19-31

はじめに

本日は、主の時に備える必要についてみてまいります。

Ⅰ.ラザロと金持の話し

主イエスは、パリサイ人たちにラザロと金持ちの話しをされました。金持ちは、毎日ぜいたくに遊び暮らして神に頼らずとも生きていけると考えていました。しかし、ラザロは「金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たす」生活でした。二人の地上での歩みはまったく対照的でしたが、二人とも同じく「死」を迎えたのです。聖書は、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)と語っています。二人の死後の結果は、大きく違っていました(ルカ16:22-23)。

人はその歩みにおいて、様々な所に置かれていますが、金持のようであっても、ラザロのようであっても、置かれている所で主の幸いを覚えることを教えています。それは、死にさえ打ち勝ってくださった主イエスによって、私たちも世の勝者とされているからです(ピリピ4:12-13)。ハレルヤ!

Ⅱ.救いは神の一方的な恵みによる

聖書は、彼らが最終的に行った所のことを語っています。金持は盛大な葬りが催されましたが「ハデス」に行き、ラザロは「アブラハムのふところ」に連れて行かれました。聖書は、金持ちであることを悪とはしていません。正しい方法で富を築き、財を得ることも神からの祝福です。私たちは、主から与えられた財をもって、主に感謝し、主のために用いていくことが委ねられているのです(Ⅰテモテ6:17)。人の救いは、この世のものによるのではなく、ラザロのように、神を信じ、神にこそ拠り頼むことによるのです。

金持は、財産を神から受けたものとして神に感謝することもなく、自分のためだけに使っていたのです。主は私たちに、あらゆる祝福と恵みを常に与えてくださっているお方です。今、私たちが持っているもので、主から頂かなかったものは何一つ無いことを覚えて、主に感謝しましょう。

Ⅲ.永遠の命の約束を頂く備えをせよ

金持は、「ハデス」から「アブラハムのふところにいる」ラザロを見て、せめて自分の兄弟たちが同じ目に遭わないようにと、ラザロを彼の父の家に送ることを願います(ルカ16:27-28)。しかし、答えは「モーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない」(ルカ16:31)というものでした。

二人の結末を決定したのは、主に対する信仰です。ラザロが「アブラハムのふところ」に入れられたのは、御国の民とされたからです。金持とは反対に神を信じて「モーセと預言者の教え」、すなわち神の御言葉に聞き従う歩みをしたのです。私たちは今、「モーセと預言者の教え」に加えて、主イエスの福音を頂いたのです。主は十字架の贖いによって、私たちを死の恐れから解放し、永遠の命を与えてくださいました。ですから、私たちはなおいっそう主の御言葉を聞いて主に従い、永遠の命の約束に生きようではありませんか。

結 び

ラザロと金持の永遠を決定づけたのは、御言葉を聞いて従うこという信仰でした(ローマ10:17)。父なる神は、御子をさえ惜しまずに私たちの救いのために遣わしてくださいました。父なる神の真実な愛に応え、御言葉に常に聞いて従い、主と共に歩む者とさせて頂き、主の日に備えてまいりましょう。

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