『祝福に満ちた福音』
はじめに
本日は、エペソ教会のために祈った、パウロの祈りを見てまいります。
Ⅰ.神を知るための知恵と啓示の御霊
エペソ教会の聖徒たちの信仰と愛の業を知ったパウロは、主に感謝を捧げて、聖徒たちがもっと「深く」神を知るようになることを祈り続けます。それは、信仰の成長は「神を知る」ことによるからです。
「神を知る」とは、人の探求心によって神についての多くの知識を持つという以前に、神からの恵みとして与えられる「知恵と啓示の御霊」の働きに拠るものです。主イエスの十字架の贖いによって神の子とされた私たちは、聖霊を内に与えて頂き(Ⅰコリント12:3)、「神を知る」ことができるようにさせて頂きました。聖霊は、私たちに主イエスを教え、また、主が話されたすべてのことを思い起こさせてくださいます(ヨハネ14:26)。主イエスを証しする聖霊を、心に迎え入れましょう。
Ⅱ.心の目がはっきり見えるようになるように
パウロは次に、「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになること」(エペソ1:18)を祈り願っています。これは、心の目が神の光に照らされてはじめて見えるようになることを意味しています。神を知るために、私たちの心を主の光によって照らして頂き、主の偉大な恵みを知り、主を実体験させて頂きましょう。「心の目」が開かれるとき、聖徒たちは「神の召しによって与えられる望み」、「聖徒の受け継ぐもの」、そして「信じる者に働く神のすぐれた力」を知るようになります。これらの恵みを知るとき、私たちがこの世で体験していることは全てではなく、神の国の相続人として全能の御力によって導かれ養われていることを知るのです。主イエスは、私たちを御国の世継ぎとするために、十字架で救いの道を備えてくださいました。今は、聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれていることを覚え、主に感謝して、主の御名をほめたたえ続けましょう。
Ⅲ.教会はキリストのからだ
パウロはエペソ教会の聖徒たちに、神の偉大な力は今まさに働き続けていると告げています。それは、主イエスの復活から始まっており、主イエスの十字架によって贖われた教会において現されています(エペソ1:20-23)。
教会はキリストのからだであり、キリストは教会の頭です。教会は、「いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」(エペソ1:23)。私たちは、キリストを肉眼では見ることはできませんが、教会を通して、キリストのみ業を体験するのです。キリストの聖徒は、主に呼ばれて地方教会の群れにつながる者とされたのですから、祝福に満ちた福音に生き、福音を伝えるものとして歩み続けましょう。
結び
主イエス・キリストは、ご自身の命をもって教会を贖われました。主はこの地上での教会を通して、あらゆる善き恵みを与えてくださることを覚えましょう(エペソ1:23)。