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『十字架を背負わされた人』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 マルコ15:16-32

はじめに

本日は、突然十字架を背負わされたクレネ人シモンについて見てまいります。

Ⅰ.主は全ての事を善きにしてくださる

主イエスは、十字架を背負わされてゴルゴタへの道を歩まれましたが、夜通しの裁判と鞭の傷などで、疲れ切っていました。ローマ兵は、途中で十字架を担ぐことが出来なくなった主を見て、「シモンというクレネ人」にむりやりに十字架を背負わせました(マルコ15:21)。

シモンは、過越祭に神殿で神を礼拝するために、クレネからエルサレムに来ていました。彼は十字架を背負わされたことで、神殿に入ることができなくなったことでしょう。しかし、彼は十字架を背負わされたことによって救い主イエスと出会えたのです。後に、シモンは自分も家族も主を救い主として受け入れる幸いを頂いたのです(マルコ15:21ローマ16:13)。人には良いとは思えないことも、主は最も善きことに変えてくださることを覚えましょう(ローマ8:28)。

Ⅱ.クレネ人シモンが出会った救い主

クレネ人シモンは、ゴルゴダの丘で十字架上の主イエスの姿を確かに見たでしょう。それは、「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方に任せた」(Ⅰペテロ2:32)姿です。また、主と一緒に十字架につけられていた犯罪人に告げた、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23:43)という赦しの宣言を聞いたでしょう。彼は、そのような主イエスの姿を目の当たりにして、イエスが救い主であることを知ったのです。

もし、シモンがいつものように神殿に行っていたなら、主を礼拝はしていたことでしょう。しかし、主イエスというお方を体験することはできなかったでしょう。十字架を背負わされたという一見理不尽な体験は、主イエスと出会うチャンスとなったのです。主イエスと出会うこと、実体験すること以上の幸いはありません。今日、私たちは礼拝において御言葉と聖霊によって、常に主と出会える機会が与えられていることを感謝しましょう。

Ⅲ.自分の十字架を背負って主に従う

主イエスは弟子たちと人々に、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコ8:34)と語られました。クレネ人シモンは、実際に主の十字架を背負わされました。しかし、十字架を負うのはシモンだけではなく、主イエスによって召された全ての者に、それぞれに負うべき「自分の十字架」が与えられているのです。

主が与えてくださる十字架は、思いもよらないものであるかもしれません。しかし、その十字架を負い、主イエスに従う時、真の命を得ると主は約束しておられます(マルコ8:34-35)。主イエスに倣う者とさせて頂きましょう。主の十字架のゆえに、主を信じるものは罪を赦され、神の子とされ、永遠の命を約束してくださったのです。

結び

クレネ人シモンは、何の前ぶれもなく突然、主の十字架を背負わされました。しかし、その突然の出来事によって、主イエスと出会って救いを頂く幸いを得たのです。私たちに起こることも、主の許しがあってことであり、私たちを主の豊かな祝福に入れさせるためであることを覚えましょう。

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