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『御言葉にとどまる』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 ヨハネ8:31-38

はじめに

本日の神召聖会において、主イエスの御言葉にとどまることの幸いを見てまいります。

Ⅰ.キリストの弟子は御言葉に聞く者

主イエスは、だれでも主の弟子になることを求めておられます(マタイ28:19)。弟子としての条件は、ただ一つです。「わたしのことばにとどまるなら」とある通り、主の言葉に聞き従うことです。

主の弟子は、御言葉を聞いて従うと同時に、主の側にいて主との絶えざる交わりに入れられた者のことです。主イエスとの交わりは、御言葉を通して成されるのですから、私たちは常に御言葉を聴き、心に宿しましょう。御言葉を聴くことは、どんな奉仕にも勝って優先すべき事です。「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです」(ローマ10:17)から。

Ⅱ.罪の奴隷からの解放

主の弟子とされた者は、真理を知る特権を与えられています。真理は、人を自由にする力があります(ヨハネ8:32)。すべての人は罪人であり、人の力では誰も罪から自由にはなれません。また、罪は全ての悪しきことの根源であり、罪によってすべての人が死ぬものとされたのです(ローマ5:12)。

真理である主イエスは(ヨハネ14:6)、私たちを罪の奴隷状態から解放するために、十字架に身代わりとなってくださいました。主イエスの十字架の贖いによって、人は主を信じる信仰によって救われ、罪の奴隷から主にある自由人として解放されるのです。主が備えてくださった救いを信仰によって頂き、主と共に歩み続けてまいりましょう。

Ⅲ.人生を導く命の言葉

私たちは「弟子」という言葉を聞くと、12使徒や、パウロのような人たちのことを考えるでしょう。しかし、聖書には「弟子の数が非常にふえて行った」(使徒6:7)と言っているように、主を信じる者のことを弟子と呼んでいます。クリスチャンは皆、「主イエスの弟子」なのです。

弟子は師匠と共に生きて、師匠の業を会得します。そのためには、師匠の言葉の中にとどまらなければなりません。キリストの言葉にとどまるとは、その言葉の中に住居を定めて住み続けるということ、もはや、そこを離れてさまよったり、それを飛び越えていかないということです。

主の御言葉は、私たちの人生を導く命の言葉です。真理である主イエスの御言葉を、しっかりと心にとめ続け、御言葉に生かされ、御言葉に励まされて、自由に生きる者とさせていただきましょう。

結び

私たちは生きる限り、主の御言葉にとどまり続けましょう。枝がぶどうの幹に繋がっているなら実を実らせます。同じように、主にとどまるなら、主は私たちを主の弟子としてくださり、豊かな実を結ばせてくださることを覚えましょう。

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