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『主を待ち望む』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 イザヤ30:15-26

はじめに

本日は、主を待ち望む者の幸いについて見てまいります。

Ⅰ.主は恵もうと待っておられる

南ユダ王国は、アッシリヤが侵略してくるという非常時に、主の御旨を尋ねずに、エジプトに助けを求めました。これは、人にはとても良い考と思えましたが、結果的には侮辱と苦難をもたらす最悪のものでした。主は預言者イザヤを通して、確実に救われる道を示されました。それは、ただ主に立ち返って静かにし、落ち着いて主に信頼することでした(イザヤ30:15)。

主は、主が与えると約束した救いを拒み、自分たちの方法で解決しようとした彼らに語られます。「主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられた」(イザヤ30:18)と。主は、反逆して恵みを受けるに値しないユダであっても、恵みと助けを与えようとされたのです。

父なる神は、御子イエスの十字架の贖いによって、私たちを救い恵もうと待っておられます。本来、全ての人は罪のゆえに、救いはおろか、滅ばされても当然でした。しかし、神の慈愛によって、主イエスを信じる者は誰でも救われるという道を備えてくださいました。愛をもって、私たちを待っておられる神の招きに応えましょう。

Ⅱ.主の恵みを受ける者の幸い

主を待ち望む者には、祝福が与えられることが約束されています。その祝福とは、先ず、主の御名を呼ぶ者には必ず答えてくださり(イザヤ30:19)、御声を聞くことを許され(イザヤ30:20-21)、そして私たちの物心の全てを満たしてくださる(イザヤ30:22-24)、ということです。私たちは今、主イエスの十字架の救いによって、罪の赦し、神の子とされる特権を頂き、永遠の命が約束されています。

主は、ご自身の約束を必ず成し遂げられます。私たちが今、たとえ物質的に乏しく、現実の状況が良くなくても、主の祝福と恵みが与えられること覚えて、主の時を待ち望みましょう(イザヤ30:22-24)。父なる神は、私たちの救いのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに十字架に渡されたのです(ローマ8:32)。ですから、私たちは御子イエスと共にあって、すべてのものを賜る父なる神に、全信頼をもって信仰生活を歩み続けましょう。

Ⅲ.究極的な望み

主はやがて「大いなる日」に(イザヤ30:25)、ユダがアッシリヤの脅威から救われることを告げられました。これは、ヒゼキヤ王の治世にエルサレムがアッシリヤに包囲された時、主の使いが一晩で敵の軍隊を滅ぼされたことによって成就しました(イザヤ37:36)。

「大いなる日」とはまた、後の世の私たちキリスト者に与えられる究極的な救いの恵みの日のことも意味しています。神のひとり子イエス・キリストは、その十字架によって、全てのキリスト者たちを救い癒やしてくださいます。さらに、主ご自身が私たちと共におられて、「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(黙示録21:4)、主の再臨の時の完全な贖いの日を約束しています。私たちは今一度、「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたは力を得る」との御言葉に堅く立ち、主を待ち望みましょう。

結 び

主は、私たちに恵みを与えようと待っておられます。また、新しい力を与えて「鷲のように翼をかって上ることができる」ようにしてくださいます。その力は、「走ってもたゆまず、歩いても疲れない」のです(イザヤ40:31)。私たちに与えられた力と大いなる恵みのしるしは、御子イエス・キリストです。ハレルヤ!

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