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『キリストと共に生きる』

説教:髙橋 正人師
聖書箇所 ローマ6:1-14

はじめに

本日の聖書箇所から、キリストを信じる信仰によって義とされた者の歩みについて見てまいります。

Ⅰ.キリストの新しい命に生かされる恵み

パウロは、信仰によって罪赦されるという偉大な主の恵みゆえに、罪の深さを知るほどに、神の赦しと救いの恵みの偉大さを知ることを語りました(ローマ5:20)。それを曲解した人たちは、恵みが増し加わるために、罪の中にとどまるべきであるという屁理屈を言い出したのです。

パウロはそのような人たちに、「絶対にそんなことはありません」と断言しました(ローマ6:2)。それは、主イエスを信じる者は、キリストと共に罪に死んで、主のよみがえりの新しい命に生きる者とされたからです。洗礼は、そのことを見える形で示したものです。主の復活の命に生かされている者は、なおも罪の中に生きることはできないことを覚え、主の復活の命に生かされている恵みを感謝して、主の御名をほめたたえましょう。

Ⅱ.聖霊の助けを求める

パウロは、クリスチャンは「キリストにつぎ合わされた」存在であると語っています(ローマ6:5)。キリストにつぎ合わされるとは、いわば小さなキリストとなって、主イエスと同じように考え、共に歩み、神に従って生きる者とされたということです(ピリピ3:28)。

クリスチャンになっても罪の残骸はまだ残っていて、罪との戦いがあります(ローマ7:9-25)。しかし、私たちは、古い人が主と共に十字架につけられて、罪の奴隷から解放された者なのです(ローマ6:6)。助け主なる聖霊は、キリストを体験させてくださり、常に私たちと共にいてくださり、救いの確信を与え続けてくださいます(エペソ1:14)。この聖霊の力と助けによってのみ、私たちは罪に勝つことができることを覚え、飢え渇きをもって聖霊を求めましょう。

Ⅲ.主の救いに応えて、主に仕えよ

全てのキリスト者は、以前は罪の奴隷でしたが、主イエスの十字架の贖いによって解放されて神の民とされたのです。パウロはこのことを、罪に対して死んだが、主に対しては生きる者とされていると、たとえて語っています(ローマ6:11)。主によって新しい命に生きる者は、恵みによって「自身とその手足を義の器として神にささげる」(ローマ6:13)ことができるのです。

私たちの持っているものの全ては、主が与えてくださったものです。それを、主の働きのために用いるとき、私たちは主の良い義の器とされます。主を信じる全ての者に与えられている聖霊は、私たちをキリストの似姿にまで成長させ、キリストの証人として、それぞれの場所に遣わしてくださいます。永遠の命を与えてくださった主に感謝し、主と共に常に歩み続けようではありませんか。

結 び

全てのクリスチャンは、主イエスの十字架の贖いによって、罪に死んで、主の新しい命に生きる者とされたのです。罪の奴隷から解放されて主にある自由人とされたことに、喜びと感謝をもって応答し、心から主に仕えるものとさせて頂きましょう。

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