『神の民とされる幸い』
はじめに
ルツ記は短い書物ですが、キリストによる完全なあがないを指し示す、旧約聖書中の最も美しい物語です。ルツ記を通して、主のあがないにより主の民とされる幸いを見て参りましょう。
Ⅰ. 主の良き知らせを耳にしたナオミ
士師時代、まことの神を畏れ敬うナオミを悲劇が襲います。飢饉を逃れて移住した異教のモアブの地で、夫と二人の息子を失ったのです。悲しみと失意の中で、ナオミは、モアブ人の嫁ルツ、オルパと共に、およそ10年ぶりに故郷ユダのベツレヘムへ帰ろうとします。それは「主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたから」(ルツ1:16)でした。この良き知らせを耳にし、一歩を踏み出した時から、ナオミに対する主のすばらしい慰めと回復のみわざが始まりました。
今日、どのような状況にあろうとも、私たちにも聞くべき良き知らせがあります。主が私たちに用意して下さっているのは、生活の糧以上のものです。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」(ヨハネ6:35)。これこそ福音です!
Ⅱ.「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神」
旅の途中、ナオミは二人の嫁にモアブに戻るよう勧めます。オルパはモアブに戻りますが、ルツはナオミと共に行くことを固く決意していました。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」(1:16)。苦難の中にも主の御手があり、ナオミを通して異邦人ルツの中に信仰の種がまかれていたのです。
驚くようなルツの信仰告白は、キリストのあがないによって救われ、主の民とされた今日の私たち教会の告白を先取りしています。主イエスを信じることと、主の民、すなわち主のからだである教会を愛することは、信仰の歩みの両輪です。この告白により、ルツは救い主の系図に名が記される特権にあずかりましたが(マタイ1:5)、クリスチャンは同じ信仰により命の書に名が記されていることを覚えましょう。「名が天に書きしるされていることを喜びなさい」(ルカ10:20)。
Ⅲ.代価を払って買い取られた主の花嫁
主に信頼するナオミとルツに主が備えておられた計画と祝福は、彼らの想像をはるかに超えたものでした。ベツレヘムには「買い戻しの権利」を持つ近親者、ボアズとの出会いが待っていたのです。ボアズが自ら進んで犠牲を払い、ナオミが失った財産を買い戻し、愛ゆえに喜んで異邦人のルツを妻としたように、主イエスは私たちを愛するがゆえに、ご自身の尊い血による代価を払って私たちを買い取って下さいました。ルツがボアズの祝福された花嫁となったように、クリスチャンは主の花嫁として(黙示録19:7)、天にあるあらゆる霊的祝福を受け継ぐ者とされています。キリストにあって自分が何者であるか、いつもみ言葉と聖霊によって霊の目を開いていただきましょう。
結 び
ナオミ、ルツ、ボアズには血縁関係はありませんでしたが、信仰と愛によって神の家族として結ばれました。彼らはこの世の苦難を通りましたが、主は万事を益と変えて下さり(ローマ8:28)、永遠の救いのご計画の中で主の働きのために用いて下さいました。私たちも信仰と愛の絆で結ばれた主の民とされています。いつも主に信頼し、生ける主を指し示す証人として用いていただきましょう。