礼拝説教

礼拝メッセージ

ホーム > 礼拝説教:2017年礼拝メッセージ

『望み、喜び、誇りの冠』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

本日は、全てのキリスト者は主の御前で「望み、喜び、誇りの冠」であることをみます。

Ⅰ.人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れる

テサロニケ教会の人々は、パウロの語る使信を人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れました(Ⅰテサロニケ2:13)。それによって、彼らは生きた神の御言葉を実体験したのです(詩篇119:130)。御言葉を通して神を実体験することは、聖霊によることです。

聖霊は、「罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせ」(ヨハネ16:8)、主イエスについて証しします(ヨハネ15:26)。先に救われた私たちクリスチャンは、御言葉と御霊によって主の救いを体験させて頂いたのです。主イエスと共に歩む日々の生活の中で主を証しし、主の御言葉の真実を周囲の人々に証しする者とされましょう。

Ⅱ.神の子として新しい命に生きる者とされた

天地の創造主は、私たちを愛してくださっています。その愛は、ひとり子イエスの誕生と、十字架に表されました(ローマ8:32)。御言葉と聖霊の働きは、人々にこの主イエスによる救いを悟らせ、信仰を与え、信仰の歩みを導き続けます。パウロは、その明確なしるしをテサロニケ信徒たちが激しい迫害の中で、なお信仰にとどまり続けている姿に見ました(Ⅰテサロニケ2:14-16)。

私たちには、この世にあっては、困難や悲しみなどは依然として襲って来ます(ヨハネ16:33)。しかし、主は私たちの罪を赦し、永遠の命を与え、神の子となる特権を与えてくださいました。私たちは、神の子として新しい命に生きる者とされたのですから、主との深く親しい交わりに生きて、救いの完成を目指して歩み続けましょう。全てのことを益としてくださる主と共に歩む時(ローマ8:28)、わざわいさえも恐れることはなくなるのです(詩篇23:4)。

Ⅲ.キリスト者こそ主の御前で望み、喜び、誇りの冠

パウロは、迫害にあるテサロニケ教会の人々を励ますために、究極的な主の救いの完成の時の栄光について思い起こさせます。彼は主イエスが再臨される時、全ての信徒が「御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となる」(Ⅰテサロニケ2:19)と断言します。

私たちは困難や苦しみに遭うと、それが全てであるかのように思い込んでしまうことがあります。聖書は、「私たちの主イエスが再び来られるとき」があると告げます。その時こそ、私たちがどんな状況にあっても決して奪われることのない希望、喜び、誇りを与えられる時なのです。主イエスが来られる時とは、主の再臨の時はもちろん、聖霊が私たちの内に住まわれる今のこの時であることを覚えましょう。

結 び

私たちは、いかなる場合でも主を礼拝し、主をほめたたえます。礼拝は、主イエスの再臨への備えであり先取りです。礼拝の度毎に主を見上げ、決して奪われない希望、どんな苦難の中でも失われることのない喜び、どんな屈辱の中でも主にある誇りを受け取り続けることを覚えましょう。

このページのトップへ

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団

神召キリスト教会

Copyright (C) Shinsho Church. All Rights Reserved.
〒114-0023 東京都北区滝野川 6-64-9
最寄り駅:JR板橋駅東口から3分/都営三田線新板橋駅から6分