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『命の冠を受けよ』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 黙示録2:8-11

はじめに

本日の聖書箇所から、スミルナにある教会に語られた御言葉を通して、キリスト者に与えられる「命の冠」を受ける幸いをみてまいります。

Ⅰ.初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方

主イエスは、全ての教会についてメッセージを伝える前に、最初にご自分の姿を示されます。スミルナにある教会には、ご自身を「初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方」と紹介されました。

教会はキリストの体であり、キリストのものです(エペソ1:23)。キリストを正しく知らなければ、教会の姿を正しく知ることはできません。主は今も生きておられ、教会を通してこの世にご自身を証ししておられます。私たちは、御言葉と御霊を通して今も生きて私たちと共におられる主を教えていただき、またいつも主との交わりに生きる者とされましょう。

Ⅱ.主は教会を知り、励まし、命じるお方

主は、スミルナの教会の「苦しみと貧しさ」、また「ののしられている」ことも知っておられると語られます(黙示録2:9)。主は、クリスチャンたちのことを十分ご存じなのです。ですから、あらゆる状況下のクリスチャンたちに、必要な助けのみ手を差し伸べてくださるのです。

現代のクリスチャンも、当時とは形は違っていても「苦しみと貧しさ」はあります。使徒パウロが、私を強くしてくださる主イエスによって「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」(ピリピ4:12)と宣言しました。私たちも、主を信じる信仰によって、いっさいのものが主によって与えられており(Ⅱコリント6:8-10)、主は全てのことを益としてくださるお方であることを覚えましょう(ローマ8:28)。

Ⅲ.第二の死によってそこなわれることのない者

主に忠実に従う者たちには、「いのちの冠」が与えられることが約束されています。「いのちの冠」とは、永遠の命、すなわち、肉体の死を越えてなお与えられる永遠の命の祝福であり、キリスト者の完全な勝利のことです。約束の「いのちの冠」をいただくために、主が命じられているように「死に至るまで忠実」であり続けましょう(黙示録2:10)。

主に「忠実」であるなら、その人は「勝利を得る者」とされ、「第二の死によってそこなわれることのない者」とされます。「勝利を得る」ために、御霊が教会に言われることを聞き続けましょう(黙示録2:11)。

結 び

主から「命の冠」を頭にいただいた教会の姿は、いつの時代であっても「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」(Ⅱコリント6:10)教会は、キリストの体だからです。主イエスを信じてこの確信に立って、「死に至るまで忠実」に、永遠の命の希望と約束を握って歩み続けましょう。

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