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『約束を望み見て喜ぶ』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

本日は、モーセの五書の最後の箇所から、主の約束を望み見ることの幸いをみてまいります。

Ⅰ.主の幻を仰ぎ望み歩む

40年もの間、イスラエルの民を約束の地へと導いたモーセの歩みは、主の約束を信じ、御言葉に従う人生でした。言い換えるなら、彼は主が与えてくださった幻、夢に生きたのです。

人には、主からの幻や夢が必要です。自分勝手な夢は儚く終わり、滅びを招くことさえあるからです(箴言29:18)。ペンテコステの日以来、私たちは聖霊が注がれています。聖霊は、私たちに夢、幻を与えて、主の御業のために用いてくださいます(ヨエル2:28使徒2:17)。私たちは、永遠の命、天の御国についての主が約束された幻、夢を信じて歩み続けると共に(ヘブル11:6)、唯一人の救い主イエスを宣べ伝え続けましょう。

Ⅱ.主の約束は確かである

モーセは、長い間の夢の実現の時を目前にして、ピスガの頂きに登り、約束の地を見下ろしました(申命記34:1-3)。主はモーセに「あなたはそこへ渡って行くことはできない。」(申命記34:4)と告げられたのでした。

モーセは主の告げられた通り、その使命を終えます。しかし、モーセは百二十歳にして「彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった」(申命記34:7)と聖書は記しています。彼は、約束の地に入らなくても、主からいただいた夢の実現を見て、神の約束が確かであったことを知ったのです。モーセは、信仰によってこの地上のものではなく「天の故郷」を遙かに望み見て喜んだのです(ヘブル11:16)。主の約束は、いま私たちが見ているものを遙かに超える良きものであり確かなものであることを覚えましょう。

Ⅲ.私たちを約束の地へと導いてくださる聖霊

私たちクリスチャンの生涯の夢は、主の約束である神の御国です。私たちの人生は、モーセ以上の長く苦しい旅かもしれません(ヨハネ16:33)。しかし、主が与えてくださる約束は、父なる神が世に遣わしてくださった御子イエスの十字架によって確かなものとされています。

私たちもモーセの信仰に倣って、生涯を貫く信仰の夢を信じて歩み続けようではありませんか。私たちに与えられている聖霊は、私たちに主イエスを教え、信仰の歩みを導いてくださいます。「聖霊は、私たちが御国を受け継ぐことの保証」(エペソ1:14)なのですから。

結 び

主イエス・キリストを信じて生きる私たちクリスチャンは、主の幻、夢に生きる者です。主の幻、夢の究極は永遠の主の御国です。この地上では、私たちは天の故郷を目指して歩む寄留者です。私たちはさらに御言葉に堅く立ち、聖霊に導かれつつ、置かれている所で、永遠の天の都を目指して主と共に歩み続けましょう。

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神召キリスト教会|礼拝説教:2017年5月21日 ただ神の方法によって

礼拝説教

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『ただ神の方法によって』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰ列王記19:1-12

はじめに

本日の聖書箇所から、私たちが真の勝利の人生を歩むために、主に全く信頼して、御言葉に従って歩むべきことをみてまいります。

Ⅰ.現実を超えて御業を行われる主

イスラエルの民は、モーセの後継者ヨシュアを先頭にして約束の地に導かれ、その土地を勝ち取らなければなりませんでした。民はエリコの町の攻略に向かいますが、町は攻撃を予想して、城門を堅く閉じていました。40年の荒野の旅を終えたばかりのイスラエルにとって(ヨシュア5:12)、人間的に見るならばエリコの城壁を破って町を攻略することは不可能なことでした。

主は、ヨシュアに戦いを命じると共に、戦法も指示されました(ヨシュア6:3-5)。それは、人間的に見るなら、全く常識に反するだけでなく、愚かにさえ思えるものでした。しかし、主の命令に従った時、ヨシュアとイスラエルの民は、難攻不落のエリコを勝ち取ったのです。

ヨシュアは、主の御言葉が現実の中に働くのを目の当たりにしました。私たちクリスチャンも、現実を超えて御業を行われる主がおられることを覚え、主の勝利を頂こうではありませんか(Ⅰヨハネ5:5)。愚かに見える十字架の言葉によって、私たちは救われたことを覚えましょう(Ⅰコリント1:18)。

Ⅱ.主の方法に従う

主の命令に対して、ヨシュアは主に信頼して従いました。その信仰姿勢は、ヨシュアが民に対して告げたこと、実際に実行したことを通して示されました。

第一は、城壁を打ち崩すのは人ではなく、主であることを知ることです(ヨシュア6:2)。第二は、主がヨシュアと民に指示された事に従うことです。主が指示された事に従うことによって、主への信仰が示されました。第三は、忍耐です。ヨシュアとイスラエルの民は、主が命じられたことを黙って続けました。

ヨシュアたちは、主が城壁を打ち崩してくださると信じて、六日間信仰に基づいて行動しました。城壁が崩れるまでは、何の変化も見られないばかりか、いつまでも同じ事が繰り返されるように思ったかも知れません。しかし、主は城壁が崩れる七日目を必ず与えてくださることを覚えましょう。主の御心を行って、約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです(ヘブル10:36)。

Ⅲ.主を仰ぎ見る

ヨシュアは、エリコの町を攻略するよう主の命令を受けた時、エリコの城壁や自分たちの力に目を向けたのではありませんでした。主に目を向け、主の御言葉を信頼し聞き従いました。

私たちも、まず主なる神を仰ぎ見なければなりません。もし、私たちが主を仰ぎ望まなければ、見えてくるのは現実の壁と人の限られた能力の壁だけです。ヨシュアは、「私がときの声をあげよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではいけない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいけない。」(ヨシュア6:10)と民に命じました。否定的な呟きや言葉によって、不信仰な思いに支配されてしまうならば、主の栄光を見ることはできないからです。

私たちは不安になる時、自分の力で何とかしようと慌てて、いろいろな策を講じます。そのような時こそ、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」(詩篇46:1)であることを覚え、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10口語訳)と語られる主を切に求めようではありませんか。父なる神は、私たちがまだ罪人であったときに、御子イエスを私たちの救いのために十字架にかけてくださいました。主イエスの十字架の贖いに、私たちに対する神ご自身の愛が明らかされていることを覚え、主にますます拠り頼みましょう(ローマ5:8)。

結 び

エリコの町の攻略は、人ではなく神によって成し遂げられた「主の戦い」でした。ヨシュアたちは、御言葉の約束を確信して主に従って勝利を頂いたのでした。神の方法は、人の目には愚かに見える方法でした。しかし、神の方法に黙して従う時、主の大いなる御業と勝利をいただくのです。「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」(ルカ11:28

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