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『響き渡る福音』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

本日の聖書箇所から、主の御言葉の力強い発信地になっていたテサロニケ教会の姿をみます。

Ⅰ.キリスト者を通して伝えられる御言葉

テサロニケの教会は、パウロたちの第2回伝道旅行中に生まれました(使徒17章)。そこでは、主イエスを信じる者たちが多く起こされましたが、逆に、クリスチャンたちを激しく迫害する者たちもおり、パウロたちはやむなくベレヤに行くことを強いられるほどでした(使徒17:5-14)。

迫害はパウロたちばかりではなく、その地のクリスチャンたちにも及んだことでしょう。しかし、彼らは主イエスに対する信仰を捨てることはありませんでした。そればかりではなく、困難の中にあってなお信仰に立ち続けたことによって、福音が世界に広がって行き、テサロニケの教会が全ギリシャの諸教会の模範となるまでになっていたのでした(Ⅰテサロニケ1:6-8)。

現代に於いても、福音は迫害や御言葉に対する無関心のただ中にあって、主イエスを信じ続けるクリスチャンたちの祈りと宣教の業を通して、世界に響き渡っています。主の御心は、「すべての人が救われて、真理を知るようになる」(Ⅰテモテ2:4)ことだからです。私たちは、主イエスを自分たちの言葉と行いを通して、人々に宣べ伝えて行きましょう。

Ⅱ.主イエスの弟子とは、主にならう者

聖霊の導きによって主を信じた者は、言葉や行動を含めて、主イエスに似る者とされます。それは、伝えられた福音が、「ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです」(Ⅰテサロニケ1:5)。主のみ業は、使徒たちや聖徒たちを通して、聖霊が働かれることによってなされます。

パウロは、テサロニケのクリスチャンたちについて、「私たちと主とにならう者になりました」(Ⅰテサロニケ1:6)と語っています。主イエスの救いを頂いた者は、主にならう者となるということです。それが主イエスの弟子となることであり、クリスチャンは全て主の弟子なのです。

主の弟子となる時、主の愛と恵みが私たちを生かし、私たちをその愛と恵みの良き器として造り変えてくださるのです。それによって、テサロニケの信徒たちは、マケドニヤとアカヤだけではなく、あらゆる所に遣わされていったのです(Ⅰテサロニケ1:7-8)。私たちも、同じ主の恵みに生かされています。いかなる状況にあっても、テサロニケの教会の人々のように、主は、聖霊による喜びをもって私たちを支え、生かしてくださることを覚えましょう。

Ⅲ.主イエスの再臨を待ち望む

パウロたちは、聖霊に満たされて「強い確信」をもって、福音を語り伝えました。福音を聞いたテサロニケの人々は、「多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ」ました(Ⅰテサロニケ1:6)。このことは、聖霊の働きによることであり、御言葉が生きて人々に働いているということのしるしです。聖霊は、テサロニケの人々の霊の目を開いて、主の救いを与えただけではなく、彼らを主イエスの証人としてくださいました。

テサロニケの人々は、苦難の中にあるにも関わらず、主イエス・キリストを信じて善を行うのに飽くことなく、キリストの証人として歩んでいました。彼らを支えたものは、究極的な救いを与えてくださる主イエスの再臨を忍耐して待ち望んでいたことによります。今の苦しみは、一時のもので、やがて主が帰ってこられたときには、主が栄光の冠をもって報いてくださることを信じていたからです。主イエスの再臨の希望をもって、いつ主が帰ってこられてもよいように、今日というこの日に、できる精一杯のことを行なわせて頂きましょう。私たちは、何をするにも、先ず御言葉を受け入れ、実際に生きて働いておられる聖霊の御声に聞き従ってまいりましょう。

結 び

テサロニケ教会の人々は、多くの困難があるにも関わらず、聖霊の喜びに満たされて御言葉を受け入れました。それによって、教会は主の御言葉の力強い発信地となり、人々の信仰はその地方一帯の模範となって行きました。私たちも、周囲の状況に左右されず、御言葉を受け入れましょう。また、主イエスの救いを「力と聖霊と強い確信」とによって証しする者とさせていただきましょう。

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