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『神の霊によって語る』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

本日の聖書箇所から、聖霊の賜物についてみてまいります。

Ⅰ.聖霊の賜物は「イエスは主です」と告白させる

「イエスは主です」という信仰告白は、聖霊の賜物であって、聖霊によらなければ誰もそのように告白することはできないと聖書は示しています(Ⅰコリント12:3)。主イエスを信じる信仰は、人の力や努力などによって獲得するのではなく、神から与えられるものです。聖霊は、主を思い起こさせてくださり、御言葉を教えてくださる唯一のお方です(ヨハネ14:26)。

主イエスを示す聖霊は、人がクリスチャンになる前から働いてくださっています。聖霊は、人の心に「聖書を読んでみたい」、「礼拝に行ってみよう」、「信仰を求めよう」などという思いを起こさせてくださいます(ピリピ2:13)。聖霊は、特別な人にだけ与えられるというものではなく、キリストを信じる全ての人に与えられています。また、主は願う者に、約束の聖霊のバプテスマを与えてくださり、大胆にキリストを証しする者としてくださるのです。

Ⅱ.聖霊の賜物は教会を建て上げるためのもの

聖霊の賜物は信仰告白させてくださることを基にして、教会全体の益となるために一人ひとりに与えられるものでもあります。教会はキリストを信じた者たちの共同体です。ですから、教会の全ての営みはクリスチャンの営みでもあります。群れの一人ひとりが、聖霊の働きによって様々な賜物を与えられており、それらが用いられて教会形成がなされます。

コリントの教会では、群れの一人ひとりに聖霊の賜物が豊かに与えられていたにも関わらず、混乱や無秩序が起っていました。それは、各々に与えられている賜物が、まるで自分が得たかのように優劣をつけたり、自分を誇ろうとする思いがあったからでした。パウロはコリント教会の人々に、「誇る者は主を誇れ」(Ⅰコリント1:31)と叱責しました。それは、コリントのクリスチャンたちが、聖霊の賜物の本来の目的、意味を見失っていたからでした。

聖霊の賜物は、自己実現や個人的な望みをかなえるために与えられたのではありません。教会の徳が高められ、「イエスは主です」という栄光が現されるためです。聖霊は、私たちにキリストを実際に体験させてくださるお方です。日々、聖霊を受け入れ、聖霊と共に歩ませて頂く時、豊かな御霊の実を結ばせて頂けることを覚えましょう(ガラテヤ5:22-23,25)。

Ⅲ.聖霊の賜物は主の栄光を現す

聖霊の賜物は、人それぞれに違った仕方で与えられています。しかし、様々に違う賜物が与えられていても、それを与えてくださっているのはただひとりの同じ聖霊です(Ⅰコリント12:4-6)。私たちクリスチャンは、教会を建て上げて行くために、与えられた賜物に応じて主イエスのために「奉仕」し、奉仕において、神の力が働いて全てのことを行わせてくださることを覚えましょう。

聖霊の賜物をいただいて生きるとは、キリストを信じた者たちが、自分の力を用いて主のわざをするというのではなく、神の力によって私たちの賜物を用いて頂くということです。

私たちは、各々が主から「奉仕」や「働き」を与えられた「主のしもべ」であることをわきまえなければなりません。しもべは、主人から命じられたことを忠実に行うものでなければなりません。また、一人ひとりが主の栄光の現れのために、主から賜物を頂いた者であることを覚え、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思い仕え合って行くべきです(ピリピ2:2-3)。その時、主は私たちの日々の信仰生活の歩みを通して、委ねてくださった賜物を主の栄光の顕れのため、群れ全体の益となるために用いてくださることを覚えましょう。

結 び

クリスチャンは、聖霊によって「イエスは主です」との信仰告白に導かれた者です。それだけではなく、主に呼び集められた一人一人が組み合わされ、互いに仕え合い、支え合って成長し合って行くものとされています。そのために、聖霊の賜物はクリスチャンたちを通して現され、主の栄光が証しされるのです。キリストの体なる教会にある者は皆、同じ一つの御霊によって主イエス・キリストを信じる者とされた者であることを覚えましょう。

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