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『現実となる神の言葉』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

本日の聖書箇所から、主イエスが語られた言葉を聞いた人々に起きたことをみてまいります。

Ⅰ.旧約聖書の預言の成就、イエス・キリスト

主イエスは、ご自身の公生涯において、初めて故郷のナザレに帰り、いつものとおり安息日に会堂で聖書を朗読するために立たれました。主が語ったイザヤ書の箇所(イザヤ61:1)は、律法に基づく大恩赦の年、すなわち、全ての負債などが免除され、解放と自由が与えられる「ヨベルの年」(レビ25章)のことについてでした。そして、主は「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」(ルカ4:21)と語り始められました。

主イエスは、旧約聖書の預言の実現として世に遣わされた救い主です。主イエスの十字架の贖いによって、全てのものが罪赦され、解放と自由を頂く完全なヨベルの時を与えて下さったのです。主がご自身の命をもって私たちに与えて下さった解放と自由は、この日以来、誰にでも与えられます。主イエス・キリストによって実現した救いを、信仰によって頂きましょう。

Ⅱ.御言葉の聞き方に注意せよ

主イエスの説教を聞いた人々は、最初は驚きをもって主をほめましたが(ルカ4:22)、聞いているうちに躓き激しく怒りだしました(ルカ4:28-29)。人々の激しい怒りは、主イエスが語られた説教によるものでした。彼らは、主イエスの言葉が恵み深い言葉であると認めながらも、それを喜んで受け入れるのではなくて、自分たちがイエスをよく知っている故に、あのイエスが神の教えを語る権威や資格があるのかと疑い、神から遣わされていることの証拠、しるしを求めたのです。

そのような彼らの思いを見抜いておられた主イエスは、「預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません」と語られました(ルカ4:24)。また、預言者エリヤとエリシャの時代のことを示して(ルカ4:25-27)、表面的にはイエスを歓迎しているように見えるナザレの人々の心の中にある罪を暴き出したのでした。

集会で語られる説教には、慰めや励ましだけではなく、人々が怒るほどの厳しい一面があります。御言葉を語る者は、聞く者たちを恐れて、彼らが心地よくなるだけの説教ではなく、厳しく罪を示して心を刺し抜き、悔い改めを迫るのです(ヘブル4:12)。私たちは、主の御言葉の聞き方に注意することが極めて大切です。主の御言葉を聞いたなら、肉の思いを優先するのではなく、主のみ旨を第一にして歩もうではありませんか(ガラテヤ5:25)。

Ⅲ.永遠に滅びることのない神の御言葉

主イエスの説教に激しい怒りを燃やした人々は、イエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちから投げ落とそうとしました(ルカ4:29)。しかし、主はこの行動に対して逃げるどころか、「彼らの真ん中を通り抜けて、行ってしまわれた」(ルカ4:30)と聖書は記します。このことは、人々の思い(激しい怒り)よりも、主イエスの威厳、権威の方が遙かに力があったということを教えています。

福音は、人の力によって滅ぼされたり、虚しく地に落ちるものではありません。真実の御言葉だからこそ、人の罪を暴き、時には「ひどいことば」(ヨハネ6:60)として聞きたくないような事柄も含みます。しかし、罪が語られなければ、悔い改めは起きないのです。

人は主イエスを十字架にかけて、神の言葉をなきものにしようとしました。しかし、主の十字架の死は、罪の世に対する敗北ではありませんでした。父なる神は、このキリストを死者の中からよみがえらせ、罪の滅びからの完全な勝利を与える道を備えられたのです。神の御言葉は、永遠に滅びることはありません(マタイ24:35)。主イエスの十字架の贖いこそ、私たち罪ある者への唯一真の救いであることを覚えましょう。ハレルヤ!

結 び

神の御言葉は、聞く者を慰め励ますばかりではなく、教え、戒め、矯正したりします。それは、真に私たちの信仰を御言葉によって養い、キリストの身丈にまで成長させるためです。私たちは、語られるあらゆる主の御言葉に対して、心をかたくなにするのではなく、真心をもって従って行きましょう。御言葉に謙遜に従う時、そこから主の救いと、御業が始まることを覚えましょう。

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