『こころにたくわえよう!みことばのパン-あなたの信じたとおりに-』
はじめに
本日の聖書箇所から、主イエスが驚かれた百人隊長の信仰について見てまいります。
Ⅰ.信仰の第一歩は、御言葉を聞くことから始まる
主イエスがカペナウムに帰って来た時、ひとりの百人隊長が自分のしもべの癒やしを願って主のもとにやって来ました。彼は、当時、シリヤ全体にまで広まっていたうわさ、すなわち、主イエスが御国の福音を宣べ伝えながら、「民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された」(マタイ4:23)ということを聞いたからでした。
主イエスが驚くほどに感心された百人隊長の信仰の第一歩は、主の知らせを聞いた時から始まりました(ローマ10:17)。今、主の御言葉を聞いたならば、御言葉に聞き従い、主のもとに来ましょう。
また、御言葉を宣べ伝える者がいなければ、主の御言葉を聞くことができません。主の救いを頂き、主の新しい命に生きる豊かさを知った私たちは、この福音を宣べ伝えましょう(ローマ10:15)。
Ⅱ.困難があっても主イエスのもとに来る幸い
百人隊長は、主イエスに「行って、直してあげよう」(マタイ8:7)と言われました。しかし、彼は「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません」(マタイ8:8)と答えます。ここに、百人隊長の信仰を見ることができます。
百人隊長は、ユダヤ人から見れば異邦人である上に、ユダヤを支配し苦しめるロ-マ帝国の軍人です。当時、ユダヤ人は異邦人を神の恵みから排除されている汚れた民として、一緒に居ることさえ嫌っていました。百人隊長は、そのようなことを十分知っているからこそ、自分の家に主イエスを迎えることを憚ったと考えられます。主イエスのもとに来る時、様々な困難があります。それでも、この百人隊長は主イエスのもとにやって来たのです。
私たちがイエスのもとに行こうとする時、多くの困難があります。最も大きな困難は、私たちの罪です。人のうちにある罪のために、人は神を神とせず、神のもとに行くことを拒むのです。父なる神は、この罪の赦しのために御子イエスを十字架にかけ、神と人との隔ての壁を打ち砕き(エペソ2:14)、救いの道を完成してくださいました。私たちは、今、父なる神に対して「イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ること」(ヘブル10:19)を許されたのです。いかなる困難があっても、第一に、主のもとに行きましょう。主の恵みと祝福を頂く最初のことは、主イエスの所に行くことです。
Ⅲ.御言葉の権威を信じる
百人隊長は、「ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります」(マタイ8:8)と語りました。彼は、主イエスの言葉でしもべが癒やされると信じたのです(ヘブル11:1)。彼は、自分の立場から、言葉の権威について十分知っていたからです(マタイ8:9)。
このような百人隊長の信仰を見て、主イエスは驚かれ、イスラエルの中でさえも、これほどの信仰を見たことがないとまで言われました(マタイ8:10)。そして、主イエスは彼に、「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように」(マタイ8:13)と言われましたが、その時、しもべは癒されたのです。
主は目には見えませんが、主の御言葉は生きていて力があります。主は、見ないで主を信じる者は幸いですと言われました(ヨハネ20:29)。また、聖霊は常に私たちと共におられ、私たちに神についてのすべてのことを教え、また、主イエスが話したすべてのことを思い起こさせてくださいます(ヨハネ14:26)。主の御言葉を信じて従う時、主の力ある栄光の御業を見させて頂くことを覚えましょう。
結び
百人隊長は、主イエスのことを聞いて、主に会うために主のもとにやって来ました。主のもとに来るために、困難がありましたが、主イエスに会うためにそれらの困難を超えてやって来たのです。そして、まだ結果をみてはいませんでしたが、主の御言葉に力があると信じました。ここに主イエスを驚かせた信仰があります。今日、私たちもイエスの前に、百人隊長の信仰に倣って、進み出ようではありませんか。今も主は私たちに、「あなたの信じたとおりになるように」と語ってくださっているのですから。