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『神はあなたを忘れない』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 イザヤ49:13-21

はじめに

本日の聖書箇所から、主は私たちを忘れず、真の慰めを与えてくださるお方であることを見てまいります。

Ⅰ.主イエスこそ真の慰め主

バビロン捕囚からの解放とイスラエルの回復という慰めの言葉は、すでに預言者が語り続けてきたことでした。その慰めの言葉は、長い間捕囚であった人々にとっては、信じ難い言葉でした(イザヤ49:14)。しかし、預言者は人々が信じても信じなくても、主の約束は必ず成ると信じて語り続けました。

神の約束を信じることのできない民に、預言者は、二つのたとえをもって変わらない神の愛を示します。一つは、自分の乳飲み子を忘れない母親のように、主は神の民を慈しむということ(イザヤ49:15)。もう一つは、手のひらに愛する者の名を刻むように、特別な存在であるというものです(イザヤ49:16)。主に愛されているということ以上に、真実で確かな慰めはありません。

父なる神は、そのひとり子イエスを私たちの救いのために、この世に遣わされ、十字架の贖いによって、救いの道を与えてくださいました。主イエスと十字架に、神の愛が現されています。主イエスにこそ、真実の慰めがあることを覚えましょう。

Ⅱ.主は慰めと共に、将来の希望を与えてくださる

民は、過去の捕囚という厳しい経験によって、「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」(イザヤ49:14)という思いに縛られていました。主は、そんな民に預言者を通して、もう一つの希望、すなわち、将来、主が成し遂げてくださる大いなる計画を知らせます。それは、神の民としてのイスラエルの繁栄と、エルサレムの城壁と神殿の再建についてのものでした(イザヤ49:16-20)。

この時、エルサレムの城壁はすでに崩されているにもかかわらず、主は「あなたの城壁は、いつもわたしの前にある」と語られました。主の御心にある御計画は、人は知ることはできませんが、主の目にはすでに完成したものであり、将来と希望を与えるものなのです(エレミヤ29:11)。私たちは、主が御計画し、与えてくださる良きものを、信仰によって頂くことができることを覚えましょう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの」(ヘブル11:1)です。

Ⅲ.主の真の慰めを伝える者とされる

現代の私たちは、イスラエルの民が捕囚から解放されたように、主イエスの十字架の贖いによって、罪による奴隷状態から解放されたのです(エペソ1:7)。主が捕囚の民を慰められたのは、一民族のためだけではありません。「わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする」(イザヤ49:6)とあります。イスラエルは、神の救いを全世界に証しするために選ばれたのです。

主イエスの救いを頂き、真の慰めを頂いた私たちは、他の人を慰めることができる者ともされています(Ⅱコリント1:4)。罪に苦しみ沈む人々に、慰めに満ちた贖い主イエス・キリストを告げ知らせましょう。

結び

主は、イスラエルの民を忘れることなく、約束通り、民に真の慰めを与え捕囚という奴隷状態から解放しくださいました。私たちも主に覚えられ、御子イエスの十字架の贖いによって、罪の奴隷から解放され、主の慰めを頂きました。主の慰めを頂いた者として、この主の救い、慰めを告げ知らせて行きましょう。

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