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『神の知恵の正しさ』

説教:髙橋正人牧師
聖書箇所 マタイ11:7-19

はじめに

本日の聖書箇所から、私たちに罪の赦しを与え、主と共に喜びをもって生きる新しい命を与えてくださる、神の知恵なる主イエスを見てまいります。

Ⅰ.バプテスマのヨハネは、預言者以上の者

主イエスは、バプテスマのヨハネのことを、預言者以上の者であり、救い主のための道備えをするために神が遣わされた使者(マタイ11:10)であると言われました。そして、ヨハネの出現を期に、これまでの預言者たちを通して成された以上の神の偉大な業が成就する新しい時代が始まったことを語られました。

新しい時代とは、預言者と律法の時代ではなく、主イエス・キリストの時代を生きるということです。すなわち、バプテスマのヨハネ以来、この世に人として来てくださった救い主イエスと出会い、私たちと共にいてくださる主と共に生きることです。

主イエスは、私たちに問われます。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか」と。この世に来てくださった御子イエスは、救いの道を示され、主を受け入れて信じる者に救いと永遠の命を与える約束をしてくださいました。毎週の礼拝はもちろん、教会の諸集会において、また、クリスチャン一人ひとりが遣わされている所で、主は御言葉を示し、御霊によって主との出会いを与えてくださることを覚えましょう。

Ⅱ.天の御国は激しく世に入り込んでいる

主イエスは、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています」(マタイ11:12)と言われました。これは、天の御国が、力をもって私たちのただ中に突入している、ということです。言い換えるなら、主イエスがこの世に来てくださったことによって、神の御国が私たちの所に来たということです。

世に来てくださった主イエスは、罪人の身代わりとなって、十字架の贖いによって、罪を赦し、救いの道を備えてくださいました。ヨハネが教えた御国への備えとは、主の前に罪を悔い改め、主を心に受け入れいることです。私たちは今、御言葉と御霊によって、罪を示され、悔い改めて主イエスを心に迎え入れて信じる者とされます。今、私たちは、救い主イエスと出会うことができる恵みの時代に生かされていることを覚えましょう。この恵みに感謝し、神の民として、霊とまことをもって主を礼拝し、主に従って歩んで行きましょう。

Ⅲ.知恵なるイエス・キリスト

主イエスは「知恵の正しいことは、その行いが証明します」(マタイ11:19)と言われました。「知恵」とは、主イエス・キリストです(コロサイ2:3)。主イエスこそ真の知恵であり、その正しさ、真実は、主イエスの業や御言葉によって証明されたのです。

主イエスは、洗礼者ヨハネに、ご自分の業(マタイ11:5)をお示しになりました。そして、「だれでもわたしにつまずかない者は幸いです」(マタイ11:6)と語られ、御自身こそ来るべき救い主であることを示されました。これは、ヨハネだけではなく、今の私たち全てに対して語られていることです。

私たちは今、主イエスが罪の赦しのために十字架にかかって死んでくださったこと、その死に勝利して復活されたことを知らされています。主の十字架こそ、罪人が救われるための神の知恵です。今日、福音を聞いたなら、いろいろな理由をもって、主イエスを拒むのではなく、この知恵なるキリストを受け入れて、主に導かれて、主の新しい命に生きる者とされようではありませんか。

結び

主イエスの十字架の贖い、これは、罪人を救う唯一の神の力であり、神の知恵です(Ⅰコリント1:18)。人々は、厳しく罪の悔い改めを迫るヨハネを拒み、逆に、愛と恵みをもって神の招きを告げる主イエスを捨てて、十字架にかけてしまいました。この世のいかなる知恵をもっても、神を知るには至りません(Ⅰコリント1:21)。真の救いは、人には愚かに見えるキリストの十字架にしかありません。主イエスの招きに応え、救いを頂くのは、今この時なのです。

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