『御言葉と祈りのために』
はじめに
本日の聖書箇所から、教会に起こった一つの問題とその解決を通して、その後の教会の働きが、世界宣教へと発展して行ったことを見てまいります。
1.ピンチはチャンスとなる
ここで起こった問題というのは、「ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。」(使徒6:1)というものでした。初代教会にも問題は数々起こりましたが、今回の問題は、「弟子たちがふえるにつれて」起こったもので、これまでのような迫害や人々の罪によって生じたものではありませんでした。
教会には、いつの時代でも問題が起こり得るものです。使徒たちが取り扱ったように、聖霊によって、問題の本質を見抜き、信仰の視点で捉えて的確に対処すべきであることを学ぶことができます。様々に起こってくる問題に対する信仰による取り組みを通して、主は教会に新しい発展へと導いてくださることを覚えましょう。
私たちの人生においても、問題は起きます。しかし、主は、こうした問題を通して、私たちが新たな恵みを頂き、信仰を成長させて頂く好機としてくださるのです。教会の中に、また、私たちの人生の中に問題が起こっても、それに押し潰されてしまうのではなく、その問題への取り組みを通して、主がさらなる祝福へと導いておられることを覚えましょう。主は試練とともに脱出の道も備えてくださり(Ⅰコリント10:13)、訓練された人々に平安な義の実を結ばせてくださることを覚えましょう(ヘブル12:11)。
2.御言葉と祈りを第一とする
この問題が起こった時、使徒たちは、教会の人たちを全員集めて、彼らの中から、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選び」(使徒6:3)、彼らにこの仕事に当たらせました。それは、使徒たちが「神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません」と判断し、「祈りとみことばの奉仕に励む」ためでした。
御言葉と祈りこそ、教会にとって何をさておいても第一のことであり、私たちキリスト者の人生の歩みの中心です。この御言葉に従うことによってのみ、主の御心を知り、主の御旨にかなった歩みをすることができるのです。教会は、人間的な方法によっては一致はしません。主を礼拝し、祈りによって一致してはじめて教会が建て上げられていくからです。主イエスを救い主と信じ、主の御言葉に応答して生きるために、毎週の礼拝と御言葉の解き明かし、祈りが大切です。「みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒20:32)
教会は、ただ神の御言葉と祈りによって導かれて行きます。ですから、選ばれ、使徒の任命を受けた七人は、委ねられた働きを行う上で、優れた能力や素質があっただけではなく、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち」でした。この人たちが選ばれたことによって、教会の問題が解決されただけではなく、神の御言葉が広まって行き、弟子の数が非常にふえて行ったのです。こうして第一のものを第一とする時、教会は命に溢れて力強く前進していくことを覚えましょう。
まとめ
教会に問題が起こることは、避けられないことです。しかし、大切なことは、問題があるかないかではなく、信仰を持ってどのように問題を取り扱うのかということです。教会の本質的なこと、すなわち、御言葉と祈りを第一のこととする時、教会は命に溢れて力強く前進していくのです。初代教会が問題を通して、御言葉と祈りを中心として行ったとき、強められ、御言葉が広められ、多くの人々が主イエスによって救われて行きました。私たちは御言葉と祈りを第一のこととしていくという原則に立って、礼拝と祈りを第一のこととして前進してまいりましょう。