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『仕える者となられたキリスト』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ピリピ2:6-11

はじめに

アドベントの第三の主日を迎えます。本日の御言葉から、私たちのもとに来て、共にいてくださる主の恵みを見てまいります。

1.神の愛は、ひとり子イエスを世に遣わされることに現れた

神の御子であり、救い主であるイエスの生涯は、聖霊によって身重になったマリヤから生まれ、「飼葉おけ」に寝かされることから始まりました(ルカ2:12)。主イエスは、「神の御姿」であるにもかかわらず、「仕える者の姿」をとって、人と同じようになってくださいました(ピリピ2:6-7)。しかも、「罪人」として最も不名誉で惨たらしい十字架刑によって処刑されました。

なぜ、栄光に満ち満ちた神のひとり子が、家畜小屋で生まれ、飼葉おけに寝かされ、最後は十字架で処刑されなければならなかったのか。それは、人の罪を赦すためです。主なる神は、イスラエルという一つの民族を選び、彼らを通して、主の救いが全人類に及ぶように御計画されました。しかし、イスラエルはその歴史の中で、常に主に背を向け、偶像の神を拝していったのです。そこで主は、御自身のひとり子イエスを世に遣わして、御子の十字架の贖いを信じる全ての者に、罪の赦しを与える約束を与えられたのです。ここに神の愛があります。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:10

この時期、キリストの御降誕に現れている父なる神の御心に感謝し、主イエスの救いを知らない方々に福音を伝えようではありませんか。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16

2.主イエスが仕える者となってくださったことによって

主イエスは、「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ2:8)。主イエスにとって、十字架で死ぬことは、父なる神の御心に従うことでした。キリストの御降誕と十字架の苦難は、父なる神が罪人の救いのために与えた唯一の道です。主イエスは、父なる神の御心に全く従った故に、「完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者」(ヘブル5:9)となられたのです。

主イエスのへりくだりは、神に対してだけではなく、罪人に対してでもあります。主は弟子たちに言われました。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:45)この約束は、救いを求める者は、誰でもキリストの救いを頂くことができることを示します。キリストが世界のいかなる人たちよりも低くなってくださった故に、全ての人が救いを頂くことができるのです。「インマヌエル」と呼ばれる主イエスは、世の終わりまでも、教会である私たちと共におられ、私たちの人生の歩みを導かれるお方です。この主イエスの救いを、直ちに頂こうではありませんか。

まとめ

栄光に輝く神のひとり子である主イエスは、仕える者の姿をとって、私たちのもとに来てくださいました。そして、私たちの救いのために十字架の上で、御自身の命を捧げてくださいました。父なる神が罪人たちに救いの恵みを与えてくださったのです。クリスマスを迎えるこの時期、心を静めて主イエスの愛と恵みを覚え、主の救いの素晴らしさを伝えて行こうではありませんか。

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