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『起きよ、光を放て』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 イザヤ60:1-9

はじめに

アドベントの第二週を迎えます。本日の聖書箇所から、主がイスラエルに対して語られた約束の言葉は、霊のイスラエルである私たち教会にも語られたものであること。そして、主の救いがいかに輝しい恵み溢れたものであるかを見てまいります。

1.起きよ、光を放て

イザヤはこれまで、捕囚からの帰還というイスラエルの救いを語ってきました(イザヤ40章-55章)。しかし、預言の終盤において、主の救いはイスラエルだけではなく、全ての人に与えられる罪からの救いであることを告げます。罪の暗黒の中に埋もれている全ての民に、主は「起きよ。光を放て」と語ります。この言葉は、現代の霊的イスラエルであるクリスチャンにも語られています。

罪と悲しみの暗闇にいる者が光を放つことができるのは、その人の力によるのではありません。「あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ」とあるとおり、「光」である主が来てくださり、人々を照らす光となってくださったのです。父なる神は、そのひとり子である主イエスをこの世に遣わしてくださいました。罪の世は、今なお「やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおってい」ます。しかし、「あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる」(イザヤ60:2)との御言葉の通り、御子である主イエスが私たちをその主の栄光で輝かせてくだるのです。私たちは、この暗い罪の世にあって「世の光」として主の栄光を輝かす者とされたことを覚えましょう。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12

2.目を上げて、あたりを見よ

次に、イザヤは「目を上げて、あたりを見よ。彼らは集まって、あなたのもとに来る。あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る」(イザヤ60:4)と語ります。やがて神の民とされた大勢の者たちが救われ、主の民となるということです。これは、ユダヤ人や異邦人の区別なく、全ての民に主の救いがもたらされることの約束を示しています。「民全体のためのすばらしい喜び」(ルカ2:10)、すなわち、救いとは、御子イエスが人となって生まれてくださったことです。

主イエスを信じた者たちは、罪赦された者として神の子と呼ばれ、一つの群れとして教会に集う者とされるのです。このことは主イエスが全ての人の罪の身代わりとなって、十字架にかかってくださったことによって成就しました。そして、主が再臨される時、主を信じた者の究極的な救いが完成することを聖書は約束しています。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(黙示録21:3-4) 

神の子とされたことで頂いた大いなる特権、そして、再び主が帰ってこられる時に頂く栄光とは、いかに素晴らしいものでしょうか。私たちクリスチャンは、信仰によってやがて来たるべき主の栄光と祝福を頂けるのです。その時まで、主を見あげて歩み、主の恵みと祝福を宣べ伝えて行きましょう。

まとめ

主は、イスラエルを光を放つ民として立ててくださったように、この時代に私たちを主の光を放つ霊的なイスラエルとして立ててくださいました。主は私たちに「起きよ。光を放て。」と語りかけてくださっています。「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。私たちは、このキリストという宝を、土の器の中に入れていることを感謝し、この罪の暗闇に主イエスの命の光を輝かせて頂きましょう(Ⅱコリント4:6-7)。

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