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『救いのしるし』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 イザヤ7:1-17

はじめに

アドベントの第一週を迎えました。本日よりクリスマスまで、救い主の誕生の約束について見てまいります。

1.主に信頼し静かにしていなさい

南ユダの王アハズの時代に、シリヤとエフライム(北イスラエル)の連合軍が攻めて来ました。これに動揺したアハズ王は、アッシリヤに援軍を要請しました。預言者イザヤは、「これら二つの木切れの煙る燃えさし」のようなシリヤとエフライムを恐れてはならない、真の王である主なる神に信頼して「静かにしていなさい」と伝えます。アハズ王は、イザヤを通して語られた主の言葉をを信じないで、アッシリヤへの援軍要請によって急場をしのいだのです。この処置は、一時的には功を奏しますが、後に、アッシリヤ自体がシリヤ・エフライムよりも遙かに大きな脅威となってユダの国に襲いかかることとなります。

私たちも、恐れや不安に直面する時、そこから早く抜け出そうと急ぐあまりに、安易な解決を求めて、より大きな恐怖を自分で招いてしまうことがあるのではないでしょうか。主の目は主を恐れる者、すなわち、主を信じる者の上に注がれます(詩篇33:18)。私たちが主を信頼し待ち望むなら、万軍の主が私たちの助けとなられ、盾となられて勝利を与えてくださり、私たちは主の勝利を喜ぶ者とされることを覚えましょう。

2.主を信じるとは、主の御言葉、御心に従うこと

主はアハズに、「もし、あなたがたが信じなければ、長く立つことはできない・・・」(イザヤ7:9)と語られます。これは、主を信じて生きるか、信じないで滅びるかどちらかを選ぶという決断を迫る問いかけです。それと同時に、主はアハズに、「あなたの神、主から、しるしを求めよ」(イザヤ7:11)と、驚くべき哀れみさえも示してくださいます。

アハズ王は、この様な主の語りかけに対して、「私は求めません。主を試みません」と一見すると信仰的な言葉をもって、主の御言葉を退け、あくまでも自分の計画に固執したのです。このことは、私たちの場合も同様です。主を信じるとは、自分のこれまでの生き方、やり方の代わりに、主の御心のままに自分の計画を変えることでもあるということです。多くの人の真の問題は、「信じられない!」ではなく、「信じたくない!」ということです。もし、「私は信じたい!」と心から願うなら、神は、不思議な方法で、信仰を与えてくださるのです。また、すでに信じている者も、主の御言葉に従う時、主の偉大な栄光を見ることができるのです。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(Ⅰサムエル15:22

3.インマヌエルのしるし

主はイザヤを通して、アハズ王に神を信頼するように促しましたが、王は主を信じることを拒否したのです。しかし、主は王の不信仰に対して、あえてしるしを与えられるのです。それは、救い主降誕の預言を意味する「インマヌエル」と呼ばれる者のしるしです。その人物が幼い間に、アラムもエフライムも滅ぼされ(イザヤ7:16)、さらには、アッシリヤの王が苦難をもたらすことの預言も成就します(イザヤ7:18-25)。しかし、真の救い主「インマヌエル」である主イエスが誕生するのは、それからおおよそ700年後のことでした。

預言書には、当時の時代と、現代の私たちに通じる二重のメッセージがあります。ですから、この「インマヌエル」預言は、当時の時代背景の中で完結したものではなく、今なお私たちに語りかけ約束しているのです。主は、私たちのうちに起こる様々な恐れや困難があっても、主に信頼するように励まし語りかけてくださっています。主イエス御自身も、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)という約束を与えてくださっています。

まとめ

インマヌエル(神は私たちとともにおられる)と呼ばれる神の御子イエスは、常に私たちと共にいてくださいます。私たちが困難や不安の中で心を「林の木々が風で揺らぐように動揺」させることがあったとしても、私たちは決して倒れることはないのです。クリスマスを迎えるこの時期、私たちは聖書の御言葉を信じ、主イエス御降誕を覚えて、主の救いの良き訪れを伝えてまいりましょう。

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