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『神の言葉に励まされて』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 Ⅰ列王記19:1-18

はじめに

預言者エリヤは、カルメル山で、バアルの預言者たちと戦って勝利を得ます。しかし、これによって、彼は王妃イゼベルから命を狙われ、逃亡生活を余儀なくされます。本日は、そのようなエリヤを励まされた主の御言葉を御一緒に見てまいります。

1.主の細い御声を聞く

主の預言者エリヤは、カルメル山において、一人で450人のバアルの預言者と戦い、完全な勝利を得ます(Ⅰ列王記18:22)。しかし、その大勝利の後、彼は疲れ果て、むなしさを覚えます。なぜなら、勝利の結果が、彼の望んでいたこととは違っていたからです。勝利によって、イスラエルの民が真の神に立ち帰るどころか、エリヤ自身の命がバアル信仰を広めた王妃イゼベルに狙われることとなったのです。エリヤには、カルメル山の大勝利が、何の実りもなく、自分の苦労や緊張などが意味を持たなかったように見えたのです。

エリヤは偉大な預言者ですが、弱さを持った一人の人でもありました。彼には、自分の命をかけて主の民のために戦ったという自負がありました。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りました」(Ⅰ列王記19:10,14)と二回も自分のことを主に訴えています。自分の奉仕、熱心さを誇る時、人と自分を比較して、失望したり高慢になったりしてしまうのです。

主は、エリヤに対して「激しい大風」、「地震」、「火」を見せます。しかし、それらの中には「主はおられ」ませんでした。主との交わりは、体験や勝利の喜び、達成感というようなものだけにあるのではないことを教えています。むしろ、「火のあとのかすかな細い声」があったとある通り、主との交わりの土台は御言葉にあります。私たちの信仰を真実に支えるのは、主の細い御声、すなわち、神の御言葉を聞き取ることにあることを覚えましょう。

2.主が残されている者たち

主はエリヤに対して、十分な食事と眠りをもって休息を与えます。彼は主から力を受けて回復しますが、その勢いでアハブ、イゼベルの所に行って対決したのではありません。先ず、主の御言葉を聞くためにホレブの山に向かい、預言者としての使命を全うするように導かれます。

主はエリヤに、これから成そうとする御自身の御計画を告げられます(Ⅰ列王記19:15-17)。それはまた、主の慰めの言葉でもあります。「わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」(Ⅰ列王記19:18)エリヤは一人ではなく、彼と同じ思いを持ち、共に働く者がいることを知らされます。彼は、この主の御言葉に励まされ、心を新しくされ、主の働きを成し遂げるために戻って行きます。

私たちの周りには、何人のクリスチャンがいるでしょうか。日本全体を見ろ時、クリスチャン人口は総人口の1%もいません。しかし、現代のバアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者が残されていることを覚え、主に委ねられている使命を全うさせていただきましょう。主は常に私たちを御存知であり、私たちを慰め励まして、御言葉によって新しい力を与え、御自身の働きのために私たちを遣わしてくださいます。

まとめ

エリヤは、自分一人が主に熱心に仕え、民を主なる神のもとへ立ち帰らせようとしていると考えていました。そのため、思ったような成果が得られないと疲れ果ててしまいました。しかし主は、バアルにひざをかがめない七千人がいるという御言葉をもって彼を立ち直らせてくださいました。主は私たちを主イエスの十字架の贖いによって神の子とし、御言葉と御霊とによって、用いてくださいます。今年一年の主の恵みを感謝しつつ、新しい年も、世の終わりまでも共にいてくださる主に信頼して歩んでまいりましょう。

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