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『喜びの知らせ』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ1:5-23

はじめに

四つの福音書は、主イエスのことを語る前に、バプテスマのヨハネのことを語っています。本日は、救い主の道備えをしたヨハネの誕生の予告を見てまいります。

1.喜びの知らせを聞いたザカリヤとエリサベツ

ユダヤの王ヘロデの時に、祭司ザカリヤとその妻エリサベツがいました。彼らは「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行って」(ルカ1:6)いました。ザカリヤが主の神殿に入って香をたくことになりました。その神殿の中で、ザカリヤに主の御使いが現れました。御使いは、ザカリヤに子どもが与えられるという喜びの知らせを告げました。

ザカリヤにとって、大勢の中から香をたく者として選ばれただけでも大きな祝福を頂いたことになりますが、主はそれ以上のことをザカリヤ夫婦に与えられました。私たちは時に、自分の経験や考えで、主の恵みの御業を推し量ってしまい、主の力を自分の小さな物差しで測っていることがないでしょうか。主の恵み、祝福は、私たちの知識や経験などのちっぽけな器ではとうてい量り尽くすことができない、大きなものであることを覚えましょう。

2.道備えをされる主

ザカリヤは、自分たちの願いを遙かに超えた主の恵みの知らせを聞きました。この喜びの知らせは、ザカリヤ夫婦にだけ与えられた祝福ではありませんでした。御使いは、生まれてくる子ヨハネがどのような人になるのかを告げ、ザカリヤ夫婦にとって喜びとなり楽しみとなるばかりではなく、多くの人もその誕生を喜ぶと告げます(ルカ1:14)。

ザカリヤは御使いを通して語らえた主の言葉を聞いたにも関わらず、自分たちの現実を見てしまいます。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」(ルカ1:18)この不信仰の故に、ザカリヤは、ヨハネが生まれるまで「ものが言えず、話せなく」(ルカ1:20)なります。これは主の裁きではなく、ザカリヤに対する主の深いお取り扱いでした。

ザカリヤは祭司で、神殿の聖所に入って香をたき、主と向かい合いって礼拝をする立場にある者でした。しかし、彼は、主が与えてくださる救いの恵みを受け入れる準備ができていませんでした。このことに、父なる神がバプテスマのヨハネを遣わして、人々に救い主イエスを迎える準備をさせなければならなかった理由があります。私たちの救いのために、主は常に道備えをしてくださっています。

まとめ

ザカリヤとエリサベツは、主が自分たちに与えてくださった大きな恵みを受ける備えをしました。その備えとは、主の救いを頂く心の備えをすること、すなわち、自分の言葉を語ったり、人の言葉を聞くのをやめて、黙して主の御言葉に聞くことです。ザカリヤは口がきけなくなりましたが、主は私たちそれぞれに、主と向かい合う機会を与えてくださいます。主が私たちに語りかけてくださる知らせは、イエス・キリストの永遠の救いの約束であることを覚えましょう(ヨハネ3:16)。

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