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『私たちを招く神』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 イザヤ55:1-13

はじめに

本日は、求める者にはだれにでも救いを与えようという主の招きについて、御一緒に見てまいります。

1.主は全ての人を招かれている

イザヤ53章で「苦難のしもべ」の死が告げられます。その死は、私たちの罪の裁きを身代わりに負ってくださったものでした。イザヤは、このしもべによってもたらされる救いを語り始めます。この救いは、最初エルサレムに語られますが(イザヤ54章)、イスラエルにだけとどまるのではなく、全世界へと広がることが「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い」(イザヤ55:1)という呼びかけをもって預言されます(イザヤ55章)。

主イエスは、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37-38)と宣言されました。これは、預言者イザヤを通して語られた主の言葉の成就を表しています。

神に似せて創造された人間は(創世記1:27)、神によってしか満たすことのできない魂の空洞を持っています。主イエスこそが、この空洞を満たすお方なのです。主は、この世の富に支配され、それを得るために労苦することの空しさを語られます。「なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。」(イザヤ55:2

主イエスは語られました。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:13-14

2.主にお会いできる間に、主を呼び求めよ

主は、私たち全てを主の民となるように「主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。」(イザヤ55:6)と呼びかけられます。主を呼び求める期間が限定されていますが、主の言葉を聞いたその時こそが主にお会いする時なのです。「悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」(イザヤ55:7)とも記されています。これは、全ての者が主に招かれていることを示します。主は私たちといつも共に居てくださり(マタイ1:23)、主の御名を呼び求めるものを救ってくださるお方です(ローマ10:13)。

主イエスは、私たちの罪の贖いのためにこの世に来てくださった神の御子です。この御子イエス・キリストによって、私たちは神との平和を与えられているのです(コロサイ1:20)。主イエスの御降誕をお祝いするこの時期、私たちはもう一度、神の憐れみ深い救いの御業を覚える時としましょう。

まとめ

父なる神は、まだ罪人であった私たちのためにひとり子イエスをこの世に遣わしてくださったことを覚えましょう(ローマ5:10)。人の目には愚かとしか見えない十字架の贖いによって、私たちの罪を赦し、永遠の命を与えてくださいました(Ⅰコリント1:18)。だれがこのような神の深い救いの御業を思い浮かべたことでしょうか。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。─主の御告げ─天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8-9)主の偉大な救いの現れである主イエス・キリストの誕生を感謝して、アドベントを過ごしてまいりましょう。

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