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『信仰の目を開かれる』

説教:髙橋正人 牧師

はじめに

主は、エジプトを出てきたイスラエルの民に、約束の地カナンを探らせました。本日は、斥候として遣わされた12部族の族長たちの報告を聞いた民の反応から、主が私たちに与えられている状況を信仰によってどのように受け止めるべきかを御一緒に見てまいります。

1.見えるものにではなく

民は、斥候たちの報告を聞いて恐れ、モーセとアロンにつぶやき、ひとりのかしらを立ててエジプトに帰ろうとまで言い始めます(民数記14:2-4)。民のつぶやきを聞いて、モーセとアロンは、「イスラエル人の会衆の全集会の集まっている前でひれ伏し」(民数記14:5)ました。それを見て、カナンを探ってきた者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは、会衆に向かって、探った地は良い地で、共にいてくださる主がこの地に導き入れてくださることを告げます(民数記14:7-9)。

民は、エジプトや荒野で、主の力ある御業やしるしを見ているにも関わらず、目の前の困難に恐れおののいたのです。民の願いは、約束の地カナンではなく、目下の生活の保障でした。民は神を、自分を助け、自分の必要を満たしてくれるお方としか見ていなかったのです。この様な信仰状態で民がそのままカナンに入るのは不可能でした。そこで、主は、御自分の民を荒野で40年間訓練されます。

私たちは様々な状況に置かれる時、目に見える状況に左右されがちです。しかし、大切なことは、私たちがその状況をどのように見るかということよりも、主がその状況をどのように見ておられるかということです。私たちは、主が祝福を与えると約束してくださっているにも関わらず、状況を見て恐れ不安を抱いたイスラエルの民の姿勢を反面教師としなければなりません。「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅰコリント4:18

2.主に従う幸い

主はイスラエルの民の不信仰のため、民を疫病でさばき、モーセを彼らより大いなる強い国民にすることを語られます(民数記14:12)。モーセはこれを聞いて、民のために、主に執り成しの祈りをします(民数記14:13-20)。モーセの祈りは、主の憐れみと約束に基づき、民の罪を憐れみによって赦してくださいというものです。

主は、モーセの執り成しによって裁きを思い直されて、民を赦し、民を滅ぼすことをやめられます。しかし、主は、御声に聞き従わず、主を試みた民を、カナンには入らせないとモーセに告げられます(民数記14:27-36)。この主の言葉は、イスラエルの不信仰の罪に対する厳しい裁きだけのように思われます。しかし、40年間の荒野での生活は、主を知り主に従うための訓練でもありました。主は約束されたことを成就される方であり、主の御心に従って生きるなら幸いを得るという約束の通り(申命記8:14-18)、訓練の期間中も民に必要なものを与えてくださったのです。

モーセは民のために祈りましたが、主イエスは、今も、私たちのために執り成してくださっています。父なる神は、私たちの罪の赦しのために、御子を十字架につけて、私たちの罪による裁きの身代わりとしてくださいました。この主イエスの十字架によって、私たちは罪を赦され、神の子とされ、永遠の命に生かされています。主に感謝しましょう。私たちは、主を信じ、主に従ってまいりましょう。いま私たちのうちに起こっていることは、全て、主の御手の中にあることを覚えましょう(Ⅱコリント4:15)。

まとめ

イスラエルの民はカナンの地についての報告を聞きましたが、全き主への信仰をもって聞かなかったために、40年の荒野の生活をすることとなりました。私たちは、たとえ人の目にはよく見えなくても、神は、御自身のご計画に従って召された人々のために、すべてのことを働かせて益としてくださることをを覚えましょう(ローマ8:28)。助け主なる聖霊は、私たちを「あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神の御心に関する真の知識に満た」(コロサイ1:9)してくださいます。いつも霊の目を開かれて、信仰の歩みを全うしてまいりましょう

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