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『陶器師、神の御手の中で』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 エレミヤ18:1-11

1.神は陶器師

主はエレミヤに、陶器師の家へ行くように命じます。エレミヤはそこで、陶器師が「粘土で制作中の器を自分の手でこわし、再びそれを陶器師自身の気に入ったほかの器に作り替え」ているのを見ます(エレミヤ18:4)。陶器師は粘土に対して絶対的な権威を持っていて、自分の器を作り上げるのです。これはたとえで、陶器師は神、粘土は神の選びの民のことです。

私たちを作るのは、天と地と全てを創造された主なる神です。粘土が陶器師の手の中にあるように、私たちは主の御手の中にあって(エレミヤ18:6)、初めて主によって作られます。罪人であり、主の前に死んでいた者をよみがえらせてくださったのは、主イエス・キリストの十字架の贖いによることです。主のもとに立ち返るとき、主は一つ一つの器に、それぞれ使命を与えられます。神は、 全てのクリスチャンに異なった賜物を与えておられます。この賜物を、主のために精一杯用いて行きましょう(ローマ12:6-8)。

2.神の麗しい器とされる

陶器師は、良い器を作るために良い粘土を選び、それをよくこねなければなりません。主の私たちに対する取り扱いは、ろくろにたとえられます。すなわち、日々、私たちに起こる様々な事柄を通して、私たちはこねられ鍛えられます。時には、試練や患難を通して主の前に砕かれることもあります。すべては、主がその御心のままに、私たちを日々に作り変え、主の「あらゆる良いわざに間に合う」器としてくださるための取り扱いです(Ⅱテモテ2:21)。

私たちは、いかなる状況の中にあっても主の慈しみと私たちに対して持っておられる御計画に信頼しましょう。主の御手に委ねる時、私たちは神の慈愛と慰めを体験し、御手の中で神の麗しい器として完成されることを覚えましょう。「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル12:10-11

まとめ

主は、陶器師が自分の思いのままに、粘土をもって器を作るように、私たちを作り上げてくだします。人間は自分の考えや思いを持って、自分を作り上げようとします。しかし、私たちを作り上げてくださるのは、陶器師である主です。私たちは、主が私をどのように作り上げてくださるのかを期待しようではありませんか。「大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(Ⅱテモテ2:20-21

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