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『常に望みを持って』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ18:1-8

はじめに

主イエスは、神を信じる者たちに、いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、たとえを話されました。本日は、このたとえを御一緒に見てまいります。

1.失望せず絶えず祈りなさい

たとえに出てくる裁判官は、神を恐れないために、人を人とも思わないような人物です(ルカ18:2)。この裁判官のもとに、社会的な地位はもちろん、力も財もないひとりのやもめが来て、正しいさばきをしてくださいと、何度も懇願します(ルカ18:3)。しばらくは取り合わなかった裁判官ですが、「このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう」と言います。

やもめが求め続けたことは、正しい裁きが行われることでした。この世は、今はまだ「神を恐れず人を人とも思わない」力によって支配されているといえます。そこに、正しい裁き、正しい支配が主によって行われることをクリスチャンは願い求めます。私たちは時に、目の前の現実を見て、失望したり、主の御手はどこにあるのかと思ってしまうことがあります。しかし、不正な裁判官でさえ、やもめの熱心な求めに対して、心を動かしたのです。まして、私たちを愛して止まない神は、「夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか」(ルカ18:7)。

私たちは主イエスによって、父なる神と親しく交わることが許され、「あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります」(ヨハネ16:23)という約束を頂いていることを感謝しようではありませんか。そして、主イエスは、「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」(マタイ18:19)と、私たちを祈りへと導いてくださっていることを覚えましょう。

2.主の支配を信仰の目で見続ける

本日の聖書箇所は、ルカ17章の神の国の到来、主イエスの再臨のことが語られている続きにあたります。神の国とは、神の支配を意味します。主が正しい裁きを行ってくださるとは、主がこの地を治めて、神の国を実現されるということです。

完全な神の支配と裁きは、今はまだ、目に見えるかたちでは実現していません。主イエスの再臨の時に完成するのです。今は、神を恐れず人を人とも思わないような力が支配する世です。その中で、クリスチャンは主イエスによって完成された目に見えない神の国を信仰によって先取りし、神の国を待ち望んでいます。その信仰の歩みにおいて、主に望みを持って、絶えず祈る時、神の国を具体的に体験させていただけることを覚えましょう。主イエスは、神の国の到来を待ち望む人々に「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:21)と語り、ご自分がこの世に来られたことによって神の国がすでに実現していることを示されました。

主は必ずクリスチャンたちの祈りに応えてくださり、世を裁き、支配されることを約束してくださいました。父なる神の約束の確かさは、御子イエスの十字架で保証されています。私たちは、神の愛に応えて主を信頼し、信仰の祈りをささげ続けようではありませんか。主イエスは私たちに問いかけます。「神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」(ルカ18:8)私たちは主イエスの再臨の約束を信じて、主が再び来られるまで、このやもめのように、いつでも、望みを持って神に祈り続けましょう。

まとめ

この世は、神を恐れず人を人とも思わない力が支配しています。その中で、いつも主に期待して祈り続けていく信仰は、この世に神の国、神の支配を示し、証しするのです。主イエスが再臨された時、主に期待して祈り続けた信仰を見ていただくというのは何と幸いなことでしょうか。「主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。」(ルカ12:43

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