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『神の言葉に心を向けよ』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ルカ7:24-35

はじめに

本日は、救い主の道備えのために遣わされた洗礼者ヨハネのことについて、主イエスが群衆に語られたことから御一緒に見てまいります。

1.洗礼者ヨハネの使命

主イエスは、「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのか」という問いから、洗礼者ヨハネのことについて語られます(ルカ7:24-26)。主イエスのこれらの問いは、ヨハネに対する人々の期待がどのようなものであったかを表しています。群衆は、ヨハネが世を改革して自分たちを解放する者、あるいは、長く待ち望んだメシアか預言者と期待していたのです。

主イエスの答えは、洗礼者ヨハネは預言者以上の者であり (ルカ7:27)、彼の使命は、救い主のために道備えをすることであるというものでした。これは、旧約聖書時代からの神の約束の成就でした。主イエス御自身が現れた以上、ヨハネは自分の使命を果たし終え、人々の前からは消えていかなければなりません。

主イエスは「女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。」(ルカ7:28)と言われました。ヨハネの使命は、主イエスを証しすることでした。これは、人が為し得る最も偉大な働きです。私たちも、主イエス・キリストを人々に指し示す大きな使命が与えられていることを覚えましょう。

2.主イエスによる新しい時代の始まり

洗礼者ヨハネの教えを聞いた者は、二つの態度を示します。一つは、「ヨハネの教えを聞いたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネのバプテスマを受けて、神の正しいことを認めたのです。」(ルカ7:29)もう一つは、「これに反して、パリサイ人、律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けないで、神の自分たちに対するみこころを拒」(ルカ7:30)みました。律法を行うことによっては、人は決して救われません(ガラテヤ2:16)。律法は、私たちに自分の罪深さを自覚させる養育係です(ガラテヤ3:24)。人が救われるのは、行いによるのではなく、主イエスを信じる信仰によります。

人々は救い主に対して、自分たちに都合の良いイメージを持っていました。主イエスの奇跡は、神の力を誇示して人々を驚かせるためではありませんでした。それは、あくまでも、力ある言葉や奇跡を通して、神の憐れみを人々に示すためでした。主イエスの到来によって、律法を守り行うことによって救いを得ようとする時代は終わりました。主イエスは、律法を完全に成し遂げてくださったからです。主イエスは、信仰によって救われるという新しい道を開いてくださったのです。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)ですから、私たちは「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで」(ヘブル12:2)いましょう。

まとめ

洗礼者ヨハネは、主イエスが救い主であることを指し示しました。この救いにあずかるには、自分の罪を告白し、主イエスにある一方的な恵みによって救ってくださる神を信じることです。私たちは今、主イエスを目で見たり、話すことはできません。しかし、聖書を通して、聖霊によって、主イエスを知ることができ、その恵みと祝福に生かされることを覚えましょう。

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