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『生ける川の水を飲む』

説教:関本英樹 宣教師
聖書箇所 ヨハネ7:37-39

はじめに

本日の聖書箇所は、主イエスを信じて生きることを、光の中を歩くことにたとえています。世の光である主を信じて、光の中を喜びと感謝とをもって歩む恵みを御一緒に見てまいります。

渇きを覚える事の大切さ:イエスを求める

今日の聖書箇所では7章の37節-38節で「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」イエス様が祭りの終わりの大いなる日に大声で言われた。

私達は誰もが心に飢え渇きを覚えます。イエス様を知る以前であれば、それは何か心の空しさ、或いは将来に対する不安であったかもしれない、それ自体、何か他の事で満たそうとしても、自分自身では決して満たすことは出来ないものに対する飢え、渇き。また私達がイエス様を信じ受け入れた後でも、私達は救われる以前とは別の飢え渇きを覚える事がある。

イエス様が「渇いているものは」と呼びかけておられるのは、イエス様ご自身がその飢え渇きを満たされるお方であるから。またイエス様はその様な飢え渇きを覚えている人に対して「私のもとに来て飲みなさい」と呼びかけておられる。

黙示録22:17 「御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」 イエス様はいつも私達がイエス様に求めることを望んでいる。その餓え渇きを満たす事を望んでおられる。 イエス様は「だれでも」と言っている通り、すべての人といつも親しい交わりを持つことを望んでおられる。

イエス様が与える潤い:イエスが与える聖霊

このようにイエス様は飢え渇きを覚え、イエス様に渇きの満たしを求めるものに対して、イエス様ご自身がたましいの渇きをいやす水をお与えになると宣言されておられる。  38節「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

イエス様が与える水とは 

①聖書が言っている通り : 預言の成就

イザ44:3 「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。」 ―この預言は主が渇ききった土地に豊かな流れを注ぐように、約束の土地と子孫に対して主の霊と祝福をお与えになるという約束。 ―「救いの泉から」水を汲むという事は決して尽きる事のない祝福と喜びで満たされるということ。

②決して渇く事のない水である:

イエス様御自身が救いの泉であり、餓え渇きを求めて救いの泉に汲みに行くものは永遠のいのちに続く、いのちの水を頂く事ができる。(救いにあずかる) イエス様は渇くものに対して招きの言葉を下さっていると同時に恵みを約束して下さっている。 その水はまさにイエス・キリストを信じ受け入れるものが永遠のいのちと共に受ける聖霊であり、その水によって私達の人生が生ける川の水が流れ出るように豊かなものへと変えられていくのです。 私達に必要な事はいつも飢え渇きの中で、生ける水をイエス様からいただき、それが心の奥底から流れ出るような恵みに満ちた生活です。

聖霊が流れ出る生き方

38節-39節では「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」イエス様の言葉に対してヨハネは39節で「これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである」とある。イエス様がなされた恵みの宣言は

①イエス様を信じる者は、心のうちに聖霊が与えられて、心の渇きがいやされること。

②その聖霊による喜びはその人一人に留まらないで、生ける水の川となって流れ出て、ほかの人へ聖霊の恵みを分け与えるようになる。

―今私達に必要なのは、生ける川の水である聖霊を受けて、私達自身だけでなく、生ける水を必要としている渇いた地に出て行く事。(近くの人、被災地の方々)

―私達が聖霊に満たされ出て行く時に、そこに聖霊の豊かな働きが生ける川の流れのように行われていく。そこに神様の更なる御業が行われていく。

結論

餓え渇きを覚え、渇きの満たしを日々主に求めていく事が大切である。

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