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『光がある間に』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 ヨハネ12:27-43

はじめに

本日の聖書箇所は、主イエスを信じて生きることを、光の中を歩くことにたとえています。世の光である主を信じて、光の中を喜びと感謝とをもって歩む恵みを御一緒に見てまいります。

1.主イエスの心を騒がせるほどの十字架

主がこの世に遣わされたのは、全ての人の罪の赦しのために、身代わりとなって十字架の贖いを成し遂げるためです。主イエスは、十字架を目前にして、心騒がせ最大の苦しみに遭われます(ヨハネ12:27)。主が心騒がせ、苦しまれたのは、十字架にかかることが、肉体的な苦しみだけではなく、父なる神から断絶されるという究極的な霊的さばきを意味していたからです。このさばきは、本来、罪人である私たちが受けなければならないものでした。「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(Ⅱコリント5:21)

神は、私たちがまだ罪人であったときに、ひとり子イエスを、私たちの罪の贖いのために十字架にかけたのです。神は、主イエスを信じる信仰による救いの道を開いてくださいました(ローマ10:13)。これが、神が私たちに罪人に対して表してくださった愛です。私たちは主の「恵みによって」救われたことを覚え、主に感謝し、この救いをいただきましょう。

2.光がある間に神の栄光を受けよう

十字架を前にして苦しまれた主イエスは、十字架を避けることよりも、父なる神の御名の栄光が現されることを祈られました(ヨハネ12:27-28)。主イエスは、自分の願いではなく父なる神の御心に従われ、神に全てを委ねられたのです。主イエスの祈りに対する父なる神の答えは、「わたしは栄光をすでに現したし、またもう一度栄光を現そう」(ヨハネ12:28)でした。イエスは、この父なる神の言葉は「わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです」(ヨハネ12:30)と群衆に対して語られました。ここでの「栄光」とは、イエスの十字架と、復活、すなわち、罪人を救う神の御業のことです。

主イエスは「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」(ヨハネ12:35-36)と語られました。ここで、「光がある間に」とは、弟子たちとっては、師であるイエスが生きている間ということであり、人々が主とお会いすることのできる時を表します。

現在は、常に「光がある間」です。主を信じる者すべてに、聖霊が与えられ、内住の御霊が信者の内にいてくださるからです(Ⅰコリント12:3)。主は私たちクリスチャンの内におられて、私たちを「世の光」としてくださり、様々な機会にクリスチャン一人一人を通して主の光を放っておられます。「光がある間に」、今日というこの日に主を信じ、「光の子」とされ、主の栄光を現す者とされようではありませんか。

まとめ

主イエスは、父なる神が、罪人の救いのために用意された十字架に向かって前進されました。罪の暗闇に輝く、偉大な光として主イエスは私たちに救いの道を用意してくださいました。光のある間に、私たちは光の子として主イエスを信じ、信仰の歩みを全うさせていただきましょう。私たちは十字架と復活の福音をすでに頂いた者ですから、時を逃さず、主の恵みに励まされて、主の業に励んでまいりましょう。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12

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