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『神の言葉で生きる』

説教:髙橋正人 牧師
聖書箇所 申命記8:1-10

はじめに

本日は、「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」という御言葉から、主に従うことの幸いを御一緒に見てまいります。

1.主の命じるすべての命令を守り行いなさい

モーセは40年の荒野の放浪の後、約束の地カナンに入ろうとしている民に告別の説教をします。それは、主が命じる戒めをすべて忠実に守り行うようにというものです(申命記8:1)。「すべて」とは、御言葉の一箇所、一部だけを信じるのではなく、御言葉全体を受け入れなさいということです。私たちの好みや都合で御言葉の一部だけを受け入れたり、拒否したりするというのではなく、全ての御言葉を信仰をもって受け入れ従ってまいりましょう。

モーセが、主のすべての命令を守り行うことを告げるのは、主が命の神であり、あらゆる善きこと、祝福の根源そのものだからです。主の言葉を守り行うことは、主なる神を愛するということの具体的なしるしです。主イエスは「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛」すること、また、「あなたの隣人をあなた自身のように愛」することを教えられました(マタイ22:37-40)。主の御言葉はすべて純粋で、拠り頼む者の盾となります(箴言30:5)。主の御言葉に心を留め、主に拠り頼む者は幸いを見つけることを覚えましょう(箴言16:20)。

2.主は命のパンを与えてくださる

荒野の放浪は、イスラエルの民自身の不信仰のためでした。しかし、モーセは民の信仰の訓練のために、主が試練や苦難を与えられたと教えます(申命記8:5)。それは、主が民の「心の内にあるものを知る」ために、あえて苦しみの中に置かれたからです(申命記8:2)。民は、荒野での様々な試みを通して、主の御手の偉大な力と、主にまったく信頼することの幸いを学びました(ヘブル12:5-7)。

さらに主は、荒野での生活の全行程を覚えていなさいと民に命じられます(申命記8:2)。それは、主の厳しいと思われる訓練の中でこそ、主の助けと導きがあったからです(申命記8:3-4)。私たちの人生には、様々な苦しみや試みがあります。実は、それらのことを通して、私たちは真実に主とその御言葉により頼んで生きることの幸いを教えられるのです(詩篇119:71)。

「主の口」とは、「源」を指す言葉です。「パン」に代表されるこの世のものが人の命を支えるのではなく、「主の口から出るすべてのもの」、すなわち、主の御言葉によって人は生きるのです。「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」(ヤコブ1:17

父なる神は、人を生かすために、すべてのものをお惜しみなく、豊かに与えてくださいます。父なる神の愛と、私たち罪人に対する真実は、そのひとり子である主イエスに表されています。主は、霊的に死んでいる私たち罪人に命を与えるために、主イエスをこの世に遣わされ、十字架の贖いによって私たちを救ってくださいました。「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ8:32

まとめ

イスラエルの民は、荒野の40年間、主によって毎朝のマナを通して養われるという訓練を受けました。それによって、「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」ということを体験したのです。私たちがこの地上の生活で受ける訓練は、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばに」よって生きること、すなわち、「神の御言によって生きること」を身に付ける事にあります。主の御言葉に生きる時、真の神の命に生かされることを覚えましょう。

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